熊本の花岡山招魂社をあとに、境内横の坂道を昇っていきますと、
西南戦争の際、ここに薩摩軍が砲台を築いたそうですね。
明治10年2月、薩摩軍は陸軍熊本鎮台が置かれていた熊本城に総攻撃をかけました。しかし加藤清正が築いた熊本城を墜とすことはできず、鎮台を守る4000人の政府軍は、14000人の薩摩軍を撃退しました。
西郷隆盛は「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と嘆いたと云います。
さて、そして、ここは
「官軍墓地」だそうです。
明治9年に起きた「神風連の乱」で殉職した将兵が眠っているそうです。
神風連の乱は肥後藩士でつくる「敬神党」170人が明治政府に対して起こした反乱です。ほどなく政府軍に鎮圧されましたが、その後も士族の反乱は相次ぎ、西南戦争へとつながっていきました。
しかし「一時荒廃し第二次世界大戦後荒れていたのを、地元の努力で整備し昭和五十五年熊本市指定史跡となった」と標柱に書いてありますが・・・
それにしては今も雑草だらけの荒れ果てた光景に見える・・・
何やらいろんな石碑が建っていますが・・
雑草の中に立ち並ぶのは墓標でしょうか
背の高い雑草に覆われた官軍墓地を後にすると
こんなのがありました。
十字の図形の下に「殉教史蹟」と彫ってあります。
キリシタン弾圧に関連した記念碑でしょうが、分かりません。
さて、そこからさらに昇っていきます。
雨が少し強くなってきました。
そして石段を登り切って再び車道に出たころ、本格的な土砂降り
傘が役に立ちません。雷もなりだしました。
こりゃーたまらん・・・
石段登ったそばに「摩天楼」とかいうお店がありました。
喫茶店のようですが営業はしていません。でもこの際、なんでもいい。軒下に避難させていただきました。
さあ、困った、この大雨では身動き取れない・・・
携帯電話を取り出し、天気予報アプリの雨雲レーダーを開いてみました。幸い、短い時間で雨は通り過ぎるようです。
30分も待ったでしょうか、雨がおさまってきたので、再び傘さして出発。
車道をしばらく行くと
石段がありました。この花岡山の頂上まで続く石段のようです。
昇っていきます。
さっきふった大量の雨で、石段を伝って水が流れ落ちて言ってました。
足元をびしょびしょに濡らしながら登りきると・・・
そこに、雨上がりの靄にかすむ仏塔が現れました。
施設名 | 花岡山官軍墓地 |
所在地 | 熊本県熊本市西区横手二丁目 |
電話 | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 無料 |
アクセス | JR熊本駅より徒歩20分 |
駐車場 | 無 |
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