木次線を行く 1
タイトルを「木次線を行く」としましたが、「乗り鉄」になって木次線に乗るのは後程。
まずは「古代史・神話愛好者」になって、昨夜泊った東郷温泉からほど近い「倭文神社(しとりじんじゃ)」を訪ねてみます。
昨日泊まった水明荘でタクシーを手配してもらい、「倭文神社(しとりじんじゃ)の前までやってきました。
まだ雨は降り続いています。
傘をさしてゆるい石段を登っていきます。
鳥居があり、その奥に楼門
全国の倭文神社で祀られている織物の神です。
楼門をくぐり
参道を奥へ
「下照姫終焉の地」
ここは、シタテルヒメがその晩年、移り住んだ地でもあるのです。
彼女はアメノワカヒコと恋仲になり、結婚します。
しかしアメノワカヒコは、日本の国の支配権をアマテラスに譲渡するように、オオクニヌシとの交渉役として高天原から派遣されていたのでした。交渉相手の娘と結婚する・・・すなわちそれは高天原への裏切りを意味します。
未亡人となったシタテルヒメは、出雲から伯耆に移りそこで余生を過ごしました。その地がこの倭文神社と云われています。
手水舎
禊をして先に進みます。
拝殿
手を合わせます。
奥の本殿
そして本殿の浦に何やら朽ちた木が・・
御神木であり、乳神さんと呼ばれているそうです。
さて、境内を一周して、表の参道を少し戻ります。
そこにあったのは「経塚」、
古くからシタテルヒメの墓だと伝えられてきましたが、大正4年の発掘調査の結果、経典を納めた経塚と判明したそうです。
細い山道を登っていきます。
まだ雨は降っており、舗装などされていない小径はぬかるんでます。
滑ったりしないよう細心の注意をしながら登り
ほどなくそこに着きました。
ぽっかり穴が開いて、その周りに注連縄が張られています。
この中に経典や仏像が埋まっていたのでしょうか。
では、経塚も後にして
倭文神社の境内を出てきました。
タクシーで上ってきた道を、帰りは雨の中傘さして歩いて下っていきます。
電話 0858-32-1985
JR松崎駅より徒歩30分
駐車場 有り
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