肥前国一宮である与止日女神社(よどひめじんじゃ)。
なお、公式には「與止日女神社」ですが、本文中は「与止日女神社」とさせていただきます。
鳥居のわきではサルタビコが護っています。
鳥居をくぐると、駐車場の真ん中を参道が貫いております。
遠景に川上峡温泉の龍登苑が見えています。
参道を奥に進んでいきます。
佐賀藩の初代藩主鍋島勝茂が慶長13年(1608年)に寄進した鳥居だそうです。
鳥居の横の岩には「庚申社」と彫ってあります。
「庚申」(かのえさる)の年月日を特別扱いする庚申信仰(こうしんしんこう)は日本の民間信仰です。
「申」(さる)の字からサルタビコもこの庚申信仰と結びついてきました。
最初の鳥居の横の岩にサルタビコの名が彫ってあったけど、与止日女神社も庚申信仰と何らかの関係があるのだろうか?
そして石段のわきには大きな楠(くすのき)
樹齢1400年の楠です。
肥前国風土記によると、ヤマトタケル(倭建命・日本武尊)が肥前の国に来たとき、楠が茂って栄えていたので「この国は栄(さかえ)の国というべきだ」と言いました。
これが「佐賀」の地名の由来だそうです。
楠は佐賀県の県木となっています。
与止日女神社は欽明天皇25年(564年)の創建だそうです。
御祭神の与止日女は、神功皇后の妹とも、トヨタマヒメとも伝えられているそうです。
トヨタマヒメは案内板には「竜宮城の乙姫様」とカッコ書きしてあるだけですが、海神の娘ですね。山幸彦ことホオリの后となり、初代神武天皇から見ると祖母ということになります。
境内の一角
アレとナニをかたどった石ですね。
本来、キリスト教的な倫理観が輸入される前の日本では、セックス(性)というものはものを生み出す根源であって尊いものであり、隠したりタブー視するようなものではありませんでした。
こちらは手水舎です。六角形の変わった形をしています。
しかし、龍の口から水は出ていません。
かわりに「祓い給い、清め給え」と唱えることで身を清めてから参詣するそうです。
拝殿
拝殿の天井絵馬
拝殿の奥、与止日女さまが鎮座される本殿
施設名 | 與止日女神社 |
所在地 | 佐賀県佐賀市大和町川上1-1 |
電話 | 0952-62-5705 |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 境内無料 |
交通 |
☆佐賀駅バスセンターより昭和バス古湯線に乗車、川上橋下車すぐ |
バリアフリー情報 | 石段の横にはスロープがあり、ただし舗装されていない箇所もある。 専用駐車スペース、多目的トイレ有。 |
駐車場 | 有 |
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