佐賀大和温泉ホテルアマンディで湯に入り、併設のレストランレッフェルでメシ食ってから外に出てきました。
嘉瀬川に造られた「川上頭首工」があります。
行ってみます。
「頭首工」(とうしゅこう)というのは、「農業用水を河川から取水するため、河川を堰き止めて推移を上昇させ、水路に流し込む施設(水門、堰堤、土砂吐等)」だそうです。(大分県のサイトより)
中に入ってみます。
川上頭首工の竣工は昭和35年。
上流には北山ダム(ほくざんだむ)が昭和32年に建設されて流量を調整し、川上頭首工から取水した農業用水を佐賀平野に供給しています。
北山ダムと川上頭首工は、農業用水の不足に悩む当時の佐賀平野にとって、救世主になったそうです。
管理事務所
堰と取水口
なにやら記念碑が並んでいますが・・
堤の上に上がれるようです。
行ってみます。
嘉瀬川の向こう岸まで渡れそう。
行ってみます。
取水口
下流側を望む
この先のほうに肥前国庁がありました。
肥前国庁から嘉瀬川を下ると有明海、そこから八代海を通じて南九州の各地とつながっていました。また、有明海から筑後川を上り、宝満川邇入って上っていくと九州の中心地、大宰府に至ることができました。
鉄道や自動車がなかった昔、河川や内海を航行する船は、重要な大量輸送機関でした。
上流側
朱塗りの官人橋が見えます。官人橋のたもとにこの後目指していく与止日女神社(よどひめじんじゃ)が鎮座されています。
対岸までやってきましたが・・
あれ?この先、いけないのかな?
下に降りる階段はあるが、柵が閉まって降りれない。
仕方ないので引き返します。
元の道路に出て少し歩いていきます。
川上峡温泉の「龍登苑」が見えています。
嘉瀬川沿いにちょっとした広場があり、
ここは「川上軌道」の終点、肥前川上駅があったところです。
大正2年、佐賀市内からここまで、川上軌道の軌道線(道路上に敷設された鉄道)が開通しました。小さな蒸気機関車が1~2両の小さな客車を牽引していたそうです。
川上軌道でここまで来た行楽客は、ここから「官人橋」を渡って対岸に渡り、与止日女神社や実相院への参詣に向かったそうです。
川上軌道は後に電化され「佐賀電気軌道」と改称しましたが、昭和12年に廃線となりました。
江戸時代後期にはすでにここに板橋がかかっていたそうで、元は「勧進橋」といわれました。社寺が協力して橋を架け「勧進」と称して通行料を徴収したそうです。
下に降りてきました。
これが昔の官人橋の橋台の後でしょうか。
官人橋は昭和28年、約150メートル上流にトラス橋としてかけなおされました。
昭和28年完成の現在の官人橋が見えています。
元の通りに戻り、再び歩いてきました。
官人橋を渡っていきます。
朱塗りの鉄骨トラス橋の横に、歩道橋がかけられています。
下流側を望む。
さっき行った川上頭首工が見えます。
毎年春にはここに川幅一面に泳いでるこいのぼりが見渡せます。
今年も数日前、5月22日までは泳いでいましたが、今は撤去されています。
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≪タクロウが過去に撮影した川上峡のこいのぼり≫
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官人橋のたもとに鎮座される与止日女神社までやってきました。
施設名 | 川上頭首工 |
所在地 | 佐賀県佐賀市大和町久池井3662-4 |
電話 | 0952-62-0136(管理事務所) |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | |
交通 |
☆佐賀駅バスセンターより昭和バス古湯線に乗車、大和公民館下車すぐ |
バリアフリー情報 | |
駐車場 | 有 |
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