入り口に建つ灯篭
「弍日獻燈」と彫ってあるようだが、どういう意味なんだろう。
「嘉永二年戌申五月吉日」とも彫ってあります。
嘉永2年は西暦で1849年、江戸時代の後期ですね。外国船が次々と日本の沿岸に現れ、鎖国による天下泰平が怪しくなってきたころです。ペリーの浦賀来航はこの4年後の嘉永6年のことです。
駐車場の奥には大きな石碑が立っています。
植え込みに隠れていますが「神武天皇聖蹟崗水門顕彰碑」と彫ってあります。
別角度から撮影
日本書紀には神武天皇が日向から東征の際、「筑紫国の岡水門(おかのみなと)」に一時滞在されたと記載してあります。
神武天皇社はその岡水門の跡だと伝わっています。
なお、古事記では「竺紫の岡田宮」に一年滞在されたことになっています。北九州市八幡西区の岡田神社とされています。
裏面の碑文
ちょっと読みにくいが
「神武天皇申寅年十一月舟帥ヲ率ヰテ筑紫國崗水門ニ至リ給ヘリ 聖蹟ハ此ノ地附近ナルベシ」
と彫ってあるようです(かすれて読めない部分は推定で補っています)
側面には
「昭和十五年十一月 紀元二千六百年奉祝會」
神武天皇の即位から起算する日本紀元で昭和15年は2600年の節目にあたり、国中でお祝いのセレモニーが開催されました。
ちなみに今年、令和3年(2021年)は紀元2681年になります。
銀杏が見事に色づいています。
「縣社神武天皇社」の社号標
鳥居に拝礼して通ります
扁額には「神武宮」と彫ってあります。
参道を進んでいきます。
境内
誰もいませんが、きれいに掃き清められています。
狛犬に守られた社殿
拝所
昭和20年、米軍の空襲を受けて近くの岡湊神社に合祀されたそうです。
神武天皇社のすぐ裏に航空自衛隊芦谷基地がありますが、元は陸軍航空隊芦谷飛行場だったので米軍の攻撃目標になったのでしょう。
その後、平成12年になって改めて再興されたのですね。
柵の向こうに賽銭箱が置いてあります。
お賽銭を納めて手を合わせます。
本殿
参詣を済ませて出てきました
芦谷基地から飛び立ったのでしょう、飛行機の轟音が響いていました。
神武天皇社を後にして、御神体が合祀された岡湊神社へ向かいます。
グーグルマップを見ながら歩いてたどり着きました。
岡湊神社
施設名 | 神武天皇社 |
所在地 | 福岡県遠賀郡芦屋町正門町14 |
電話 | 093-223-0216(岡湊神社社務所) |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 境内無料 |
交通 | ☆JR遠賀川駅から芦屋タウンバス約12分 ☆JR折尾駅から北九州市営バス約25分 いずれも芦谷中学校前下車徒歩10分 |
バリアフリー情報 | バリアフリー設備なし |
駐車場 | 有 |
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