日向三代を訪ねて 5
では、神門を通って先に進みます。
その先にもう一つ門がありました。
ウガヤフキアエズは海幸山幸の神話で知られる山幸彦ことホオリの子であり、後に大和へ東征して皇室の初代・神武天皇となったイワレの父親です。
高千穂に降臨した天孫ニニギ (日向三代の初代)の御子にホデリとホオリが居ました。
兄ホデリは海で魚を捕るのが得意で海幸彦と呼ばれ、弟ホオリ(日向三代の二代目)は山で狩りをするのが得意で山幸彦と言われていました。
ホオリは兄に「道具を交換してみよう」と提案し、嫌がる兄ホデリを説得して釣り道具を持って海に行きます。しかし魚は取れず、兄の大事な釣り針は無くしてしまいました。
釣り針を無くされ激怒する兄。
ホオリは釣り針を探しに海の底へ行き、海神の宮殿にたどり着きます。
そこで海神の娘トヨタマビメを后にして日向に戻ってきました。
兄ホデリは海神の呪力により没落します。
トヨタマビメはホオリの御子を懐妊し、いよいよ出産のとき、鵜の羽で屋根を葺いた産屋をたてました。
しかし屋根を葺き終わらないうちに生まれそうになり、「出産の様子を見ないでください」とホオリに言って産屋にこもりました。
・・・気になったホオリがのぞいてみると・・・
トヨタマビメはわに(爬虫類のワニではなく、鮫のこと)の姿になって子を産んでいました!
正体を知られたトヨタマビメは生まれた子を残して海に帰り、二度と戻ってくることはありませんでした。
この時産まれた子がウガヤフキアエズ(鵜葺草葺不合命)、鵜戸神宮の主祀神です。
ウガヤフキアエズが生まれた産屋のあとに、鵜戸神宮の本殿が建立されました。
手水舎
ここもコロナ対策で柄杓はなく、手水鉢に水は溜まっていません。
特設の竹筒が設置されてそこから水が出ています。
江戸時代初期、飫肥藩の殿様が寄進した石灯篭
「福注連縄」
これで身体を撫でて体を清めてから参拝するそうです。
はるか下のほうに鵜戸神宮本殿へ続く参道と鳥居が見えます。
神橋
この先、尊い御神域だそうです。
石段を降りていき
鳥居が立つ洞窟の入り口
鳥居に拝礼してくぐります。
その先に、荘厳な本殿がありました。
ウガヤフキアエズの産屋のあとに建てられたと伝わる本殿
創建の年代は不明
現在の本殿は正徳元年(1711年)飫肥藩五代藩主の伊東祐実が改築したものだそうです。その後明治23年に大改修が行われ、昭和43年、平成9年にも改修が行われています。
幾度の改修が行われたとはいえその文化的価値は高く、県の有形登録文化財となっています
鵜戸神宮
宮崎県日南市宮浦3232
電話 0987‐29‐1001
参拝時間 6時~17時
宮崎駅西口1番乗り場より宮崎交通バス飫肥行きに乗車、約1時間20分、鵜戸神宮下車
(宮交シティ・宮崎空港・青島からも乗車可)
(本数少ないので注意)
駐車場・有
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