日向三代を訪ねて 20
八尋殿を後にして、「記紀の道」の遊歩道を進んでいきます。
しかしこの先、まだ工事中のようです。
公道のほうへ迂回します。
工事中の区間を迂回して整備された遊歩道に戻り、先に進みます。
昔ながらの垣につるされて干してある稲、その先に見えるこんもりとした樹
ここが「無戸室」(うつむろ)の跡だそうです。
天孫ニニギ(日向三代の初代)の后、コノハナサクヤビメが懐妊しました。しかしニニギはコノハナサクヤビメに向かって「お前、それは浮気した相手の子だろう!」と言い放ちます。
これにキレたコノハナサクヤビメは
「ならば証明しましょう。あなたの子なら無事に生まれてきます。ほかの男性の子なら無事ではすまないでしょう」
というと、産屋にこもり、出入り口を土で塗り固めて出入りできなくすると、中から火を放ち、猛火に包まれた産屋の中で出産しました。
コノハナサクヤビメは無事に三つ子の兄弟を出産し、ニニギの子であることが証明されました。
この時産まれた長男ホデリが海幸彦、三男ホオリ(日向三代の二代目)が山幸彦と呼ばれるようになり、海幸山幸の神話で活躍します。
ちなみに次男ホスセリは早世したのか、古事記には出産以外の記述がありません。
大きな樹のそばに「無戸室跡」の石碑
ところで、無戸室跡の前に、さっきも見た、垣につるして干してある稲
今はコンバインで収穫した後、専用施設で乾燥させますが、昔はこうやって刈り取った稲を天日に干して乾燥させていました。
で、この田圃、
古代米を栽培しているそうです。
では、無戸室を後にして少し遊歩道を歩くと、こんもりした森が見えてきました。
コノハナサクヤビメが三皇子を出産した時、産湯を使った池だそうです。
池のそばに小さなお社
案内板にあったお産の神様(あおしま様)でしょうね。
ところで・・
実は、コノハナサクヤビメが三皇子を出産した「無戸室」や、三皇子が産湯を使った跡というのは宮崎市の木花神社にも存在してます。
まあもちろん史実ではなく伝承なので「ここがその伝説の地だ」と地元が名乗ればそうなってしまうのですが・・
遊歩道を進んでいくと、 赤い鳥居がありました。「石貫神社」です。
記紀の道
宮崎県西都市
電話 0983-41-1557(西都市観光協会)
起点の都萬神社まで宮崎駅より宮崎交通バス西都バスセンター行き終点下車、徒歩15分
(都萬神社前から西都原古墳群方面に行くバスもあるが本数少ない)
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