大山祇塚

日向三代を訪ねて 22

 

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 石段を登りきると、そこは広場でした。

周辺は墳丘が点在しています。

 

 

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 そして、石段を登り切ったところのすぐ右側にある、この墳丘、

位置的にこれがオオヤマツミの墓と伝えられる大山祇塚でしょうか

案内板も何もないのでわかりませんが、多分これでしょう。

 

記紀の道」の案内地図には大山祇塚として掲載されているのに、なぜ現地に何の案内板も無いんだろう。

正式には「90号墳」というそうです。

 

西都市観光協会のサイトには案内板の写真が掲載されていますが、古くなって撤去されたのかな?

 

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 なだらかな墳丘の前方後円墳です。

 

オオヤマツミ天孫ニニギ(日向三代の初代)のもとに嫁いだコノハナサクヤビメの父です。

 

しかし他に、スサノオには孫のクシナダヒメを嫁がせています。

さらにスサノオクシナダヒメの子、ヤシマジヌミにも娘のコノハナチルヒメを嫁がせました。

ヤシマジヌミとコノハナチルヒメの子孫がオオクニヌシになります。

 

またスサノオにはクシナダヒメの他にも娘のカムオオイチヒメも嫁がせています。

 

 

・・・なんかこうやって書いてると、時系列が分からなくなってくる・・・神様の家族関係って複雑・・・

 

 

 

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 墳丘に登ってみました。後円部から前方部を望む。

 

オオヤマツミ自身はイザナギイザナミの神産みで生まれた神の一柱です。

 

日本創世の時代からスサノオ、その後6代を経てオオクニヌシ、そして国譲りの後のニニギの御代まで、古事記オオヤマツミに関する記述は続いています。

この間、何万年もの時が経っているはずですが・・・

 

まあ神様だから、寿命は無いのでこれは当然です。

しかしだったらなぜ墓があるんだろう・・

 

 

 

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 まあもちろん、オオヤマツミの墓というのは伝承に過ぎず、実際はこの地の豪族の墓なんでしょうけど。

 

では、大山祇塚を後にして、周辺の墳丘を散策してみます。

 

 

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 周辺に墳丘がいくつも見えます。

 

 

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 84号墳だそうです。

 

 

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 大正時代に発掘調査されたんですね。

 

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 では、墳丘が点在する広場を後にして

 

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 車道に出てきました。

 

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 この大山祇塚が存在する一帯は第二古墳群というそうです。

 

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先に進み ます

 

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 コスモスが満開でした。

 

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 さらに進み

 

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 見えてきました

「鬼の窟古墳」です。

 

大山祇塚(西都原古墳群)
宮崎県西都市三宅
電話 0983-41-1557(西都市観光協会
宮崎駅より宮崎交通バス西都バスセンター行き終点下車、徒歩30分
(西都原古墳群方面に行く便もあるが本数少ない)

駐車場・有

 

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≪参考リンク≫

西都市観光協会 大山祇塚