カリバ旅行記

狩場宅郎のカリバ旅行記。温泉、鉄道、路線バスなど。

槵觸神社 前編

日向三代を訪ねて 29

 

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では、これから槵觸神社(くしふるじんじゃ)を目指していきます。

 

 

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時折小雨が降る中、携帯電話の地図を頼りに進んでいき

 

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見えてきました、ここが槵觸神社のようです。

 

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槵觸神社の主祭神天孫のニニギ(日向三代の初代)

ここはニニギが高天原から日本の地に降臨した場所なのです。

 

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それまで日本の国は出雲のオオクニヌシが支配していましたが、アマテラスは「日本の国は自分の子が治めるべきだ」と宣言して使者を派遣

オオクニヌシは日本の国の統治権をアマテラスに譲渡します。

 

 

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 アマテラスは息子のオシホミミに日本に降りるよう促しました。

オシホミミは「その役目、わたしの子のニニギにやらせてもらえませんか」と辞退しました。

 

こうしてアマテラスにとっては孫にあたるニニギが日本に降りることになりました。すなわち「天孫降臨」です。

 

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ニニギは天津神を引き連れて高天原を出発しました。そしてサルタビコの導きでここ、くしふる嶽におりたちました。

 

槵觸神社はくしふる嶽の中腹に建立されています。

 

ニニギたちの一行はこの後、この近くに高千穂宮を造営しました。今の高千穂神社です。

 

 

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参道の途中に手水舎がありました。 

 

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 ここで禊をしてから

 

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 参道の石段を登っていきます。

 

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 拝殿

手を合わせます

 

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 本殿

 

元禄7年(西暦1694年)に造営され、宝暦14年(1764年)・安永4年(1775年)に修復されたそうです。

 

しっとりと露に濡れた境内は静まりかえっていました。

 

 

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 境内からは下の駐車場まで遊歩道が伸びています。

こちらのほうに行って見ます。

 

 

 槵觸神社
宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井713
電話 0982‐72‐2413(高千穂神社社務所
延岡駅より宮崎交通バス高千穂バスセンター行1時間20分(バイパス経由)~1時間40分(旧道経由)、高千穂バスセンター下車、徒歩10分
 高千穂バスセンターには福岡・熊本からの高速バスも停車する。また、土休日に限り宮崎からも運行される。
駐車場 有

 

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高千穂観光協会 槵觸神社