山陽本線を岩国まで下ってきました。岩国16時4分着

向かいのホームに泊まる16時5分発下関行の電車にあわただしく乗り換えます

乗り換えが終わるとすぐに電車は発車します

瀬戸内海が見えてきました

電車は瀬戸内海に沿って走ります



やがて大島が見えてきました
手前を航行しているのは防予フェリーでしょうか

大島にわたる大島大橋が見えてきて、

大畠駅に泊まります
かつては大島にわたる国鉄の鉄道連絡船が出ていました。大島大橋の開通とともに廃止されています。

神代にては岩尾瀧
大畠には瀬戶の景
ながめてゆけば柳井津の
街には醤油木綿縞

やがて海から離れ、

徳山駅に到着します
千年に遺す德山に
立てるは殉難七士の碑
その勤王の眞心に
淚そゝがぬ人あらじ

昭和37年に三田尻駅から改称されました。
鉄道唱歌の時代(明治33年)には山陽鉄道の終着駅でしたが、山陽線唱歌の時代(明治42年)になると下関まで延伸され国有化されています。
三田尻よりは宮市の
松崎神社に詣づべく
大道おりて見るべきは
大村兵部大輔の碑




やがて新山口駅が近づきます

平成15年に小郡駅から改称されました

少しずつ陽が落ちていきます

小郡よりは山口に
ゆくべく湯田に浴すべし
小野田の次は厚狭の驛
大嶺支線の乘替塲
美祢線の厚狭~大峰間は、大峰炭田の石炭輸送を目的に明治38年に開通しました。
その後南大嶺から北に延伸されていき大正14年に正明市駅(現 長門市駅)まで全通し、南大嶺~大峰間は支線となりました。この支線は平成9年に廃止されています

あたりはすっかり暗くなりました

絲根の松原いと早く
埴生も小月も打ちすぎて
長府に櫻の名どころと
聞こえし寺は功山寺

新下関駅が近づきます
巨大な新幹線の高架が横たわっています

山陽線唱歌のころは一ノ宮駅と称していました。大正5年に長門一ノ宮駅に改称、昭和50年の山陽新幹線開業時に現役名となっています

そして下関駅が近づき、

終点の下関、19時25分着
景色の良さに誰も皆
來て住吉の一の宮
あわてゝ手荷物忘るなよ
こゝぞ終點下關
これより海峽打ちへだて
向は九州門司港
關門連絡船しげく
ゆきかう汽笛の聲たえず
安德帝の大御靈
まつれる社は赤間宮
平家の亡びし壇の浦
今は榮ゆる町つゞき
城山公園櫻山
夏は涼しき波に散る
小戸の夜焚の篝火を
花かと見るや心地よや
四時の眺望すぐるゝは
龜山神社の岡の上
右には彥島嚴流島
左に和布刈の鼻見えて

ここで関門トンネルを通るJR九州の電車に乗り換えて、この先帰ります
これより瀬戶を打ち渡り
九州廻りをして來んか
韓國釜山にゆく船も
煙噴き立て客を待つ
といったところで、昨日から続けてきた「東海道唱歌」「山陽線唱歌」の旅、ここらでお開きにさせていただきます。お読みいただきありがとうございました
・・・あ、そうそう、岡山駅で完全に壊れてしまった携帯電話、
帰ってきた翌日は仕事が遅くなってどうにもならなかった。
翌々日、仕事終わりに電話屋さんに直行し、無事新しいスマホを手に入れられました。若干の出費はあったけど思ったほどでもなかったし、一部のデータはなくなったけど大事なものはほぼ復元できたし、
ほっと一安心です。
前<<< 山陽本線 糸崎~岩国 令和7年3月 - カリバー旅行記
≪姉妹ブログ≫
鉄道唱歌の話
古事記の話
≪拙ブログをテーマ別にまとめたサイト≫
温泉の話
駅弁の話
記紀ゆかりの地を訪ねて
小説古事記
古代史探訪
≪過去レポート≫