山陽本線 岩国~下関 令和7年3月

山陽道唱歌で行く山陽本線 10

 

山陽本線を岩国まで下ってきました。岩国16時4分着

 

向かいのホームに泊まる16時5分発下関行の電車にあわただしく乗り換えます

 

乗り換えが終わるとすぐに電車は発車します

 

瀬戸内海が見えてきました

 

電車は瀬戸内海に沿って走ります

 

神代駅

 

 

 

やがて大島が見えてきました

手前を航行しているのは防予フェリーでしょうか

 

大島にわたる大島大橋が見えてきて、

 

大畠駅に泊まります

かつては大島にわたる国鉄鉄道連絡船が出ていました。大島大橋の開通とともに廃止されています。

 

柳井駅

 

山陽線唱歌 汽車 四二

 

神代にては岩尾瀧

大畠には瀬戶の景

ながめてゆけば柳井津の

街には醤油木綿縞

 

やがて海から離れ、

 

徳山駅に到着します

 

山陽線唱歌 汽車 四三

 

千年に遺す德山に

立てるは殉難七士の碑

その勤王の眞心に

淚そゝがぬ人あらじ

 

 

防府駅

昭和37年に三田尻駅から改称されました。

鉄道唱歌の時代(明治33年)には山陽鉄道の終着駅でしたが、山陽線唱歌の時代(明治42年)になると下関まで延伸され国有化されています。

 

山陽線唱歌 汽車 四四

 

三田尻よりは宮市の

松崎神社に詣づべく

大道おりて見るべきは

大村兵部大輔の碑

 

 

 

 

 

 

やがて新山口駅が近づきます

 

新山口駅

平成15年に小郡駅から改称されました

 

少しずつ陽が落ちていきます

 

小野田駅

 

山陽線唱歌 汽車 四五

 

小郡よりは山口に

ゆくべく湯田に浴すべし

小野田の次は厚狭の驛

大嶺支線の乘替塲

 

美祢線の厚狭~大峰間は、大峰炭田の石炭輸送を目的に明治38年に開通しました。

その後南大嶺から北に延伸されていき大正14年に正明市駅(現 長門市駅)まで全通し、南大嶺~大峰間は支線となりました。この支線は平成9年に廃止されています

 

あたりはすっかり暗くなりました

 

小月駅

 

山陽線唱歌 汽車 四六

 

絲根の松原いと早く

埴生も小月も打ちすぎて

長府に櫻の名どころと

聞こえし寺は功山寺

 

新下関駅が近づきます

巨大な新幹線の高架が横たわっています

 

 

新下関駅

山陽線唱歌のころは一ノ宮駅と称していました。大正5年に長門一ノ宮駅に改称、昭和50年の山陽新幹線開業時に現役名となっています

 

そして下関駅が近づき、

 

終点の下関、19時25分着

 

山陽線唱歌 汽車 四七 四八 四九 五〇 五一

 

景色の良さに誰も皆

來て住吉の一の宮

あわてゝ手荷物忘るなよ

こゝぞ終點下關

 

これより海峽打ちへだて

向は九州門司港

關門連絡船しげく

ゆきかう汽笛の聲たえず

 

安德帝の大御靈

まつれる社は赤間

平家の亡びし壇の浦

今は榮ゆる町つゞき

 

城山公園櫻山

夏は涼しき波に散る

小戸の夜焚の篝火を

花かと見るや心地よや

 

四時の眺望すぐるゝは

龜山神社の岡の上

右には彥島嚴流島

左に和布刈の鼻見えて

 

ここで関門トンネルを通るJR九州の電車に乗り換えて、この先帰ります

 

山陽線唱歌 汽車 五二

 

これより瀬戶を打ち渡り

九州廻りをして來んか

韓國釜山にゆく船も

煙噴き立て客を待つ

 

といったところで、昨日から続けてきた「東海道唱歌」「山陽線唱歌」の旅、ここらでお開きにさせていただきます。お読みいただきありがとうございました

 

・・・あ、そうそう、岡山駅で完全に壊れてしまった携帯電話、

帰ってきた翌日は仕事が遅くなってどうにもならなかった。

翌々日、仕事終わりに電話屋さんに直行し、無事新しいスマホを手に入れられました。若干の出費はあったけど思ったほどでもなかったし、一部のデータはなくなったけど大事なものはほぼ復元できたし、

ほっと一安心です。

 

前<<<  山陽本線 糸崎~岩国 令和7年3月 - カリバー旅行記






≪姉妹ブログ≫

鉄道唱歌の話
古事記の話


≪拙ブログをテーマ別にまとめたサイト≫

温泉の話
駅弁の話 
記紀ゆかりの地を訪ねて

小説古事記
古代史探訪
 

≪過去レポート≫

 

令和元年7月 岩国~下関

平成30年9月 新山口~下松 柳井~大畠 大畠~岩国

平成30年4月 岩国~徳山 徳山~新山口 新山口~下関