そこから歩いてきました
多家神社近くの小高い丘の上に石碑が建っています
「神武天皇聖跡 多祁理宮 埃宮 顕彰碑」の石碑
神武天皇が滞在した宮の名は古事記では「多祁理宮」(たきりのみや)、日本書紀では「埃宮」(えのみや)と記されています
石碑裏の碑文
逆光で読みにくいけど、文字に起こしてみると、
神武天皇甲寅年十二月舟師ヲ帥ヰ安藝國ニ至リマシテ埃宮ニマシマセリ
阿岐國之多祁理宮モ蓋シ此ノ宮ナラン
聖蹟ハ此ノ地附近ニアリト傳ヘラル
神武天皇は甲寅年(紀元前771年)12月に船団を率いて安芸国に来て埃宮に滞在した
阿岐国(安芸国の古事記での表記)の多祁理宮もおそらくこの宮であろう
その聖蹟はこの地の付近にあると伝えられている
ということですね
石碑が建つ丘から見下ろす広島の市街地
そこから歩いて
ここは「総社会館」、
公民館のようなものでしょうか、児童遊園も併設されていますが、その敷地内に
「総社跡」の石碑が建っていました
こちらはまた別の「総社址」の石碑
昭和8年建立のもののようです
ここは昔、安芸国総社が建っていた所です
律令制においては国司は赴任後、国内の神社を参詣して回ることになっていました。この順番を表したのが一宮以下の社格と云われます
その後時代が下ると国府の近くに総社を定め、ここに参詣することで巡回を省くようになりました
ここは安芸国の総社があった場所ですが、明治7年に多家神社に合祀されたそうです
では、総社会館を離れて
田所明神社までやってきました
施設名 | 神武天皇聖跡多祁理宮埃宮顕彰碑/総社跡 |
所在地 | 広島県安芸郡府中町宮ノ町3丁目3/広島県安芸郡府中本町3丁目2 |
電話 | |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 無料 |
交通 | ☆JR山陽本線天神川駅より徒歩20分 ☆JR芸備線矢賀駅より徒歩20分 |
バリアフリー情報 |
|
駐車場 | 無 |
令和5年7月現在
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