岡山発 東京行き 普通列車の旅 14 / 青春18令和2年春紀行 初日
「岡山発 東京行き 普通列車の旅」、大垣駅までやってきました。いよいよここから最後の列車です。
大垣から東京まで一気に進む普通列車と言えば・・・
快速「ムーンナイトながら」、青春18きっぷの季節に合わせて運行されている臨時列車です。
臨時快速ムーンライトながらは、今の時代に残る貴重な夜行普通列車です。
昔は数多くの夜行普通列車が走ってました。ぼくが乗ったものでは、
☆山陰本線のB寝台を連結した「山陰」、
☆紀勢本線のこれもB寝台を連結した「はやたま」およびその後身の『新宮夜行』、
☆中央本線の新宿から松本方面に向かう『山岳夜行』
☆新宿から新潟方面に向かう「ムーンライト」(のちにムーンライトえちごに改称)
☆函館本線「ミッドナイト」
そして
☆東海道本線『大垣夜行』およびその後身の「ムーンライトながら」(当時は定期列車でした)
と、ざっとぼくが乗ったものだけ挙げてもこれだけありました。
しかし今は定期の夜行普通列車は存在せず、臨時列車でもこの「ムーンライトながら」が唯一の存在であります。
22時40分ごろ、入線してきました。
この「ムーンライトながら」、前身の『大垣夜行』のころからよく利用してました。当時はグリーン車2両、他はボックスシートの急行型。
青春18きっぷの季節に、垂直な背もたれの窮屈なボックスシートに、4人ぎゅうぎゅう挟まれて辛い一夜を過ごしたこともあります。
また同じく青春18の季節に、満席の普通車の乗客を横目に普通乗車券で乗車し、グリーン車で足を延ばしてゆっくり眠ったこともありました(当時は青春18きっぷでは料金払ってもグリーン車には乗れませんでした)
その後身の「ムーンライトながら」にも何度か乗りましたが、臨時列車化されてからは乗っておらず、久々の乗車です。
車内、リクライニングシートですがヘッドレストのカバーは外されています。
定刻22時48分、発車。
車掌さんが検札に来ます。ここで車掌さんは青春18きっぷに翌日の日付印を捺印しました。
名古屋駅、23時20分発。
車掌さんの車内放送も翌朝の横浜着まで無くなります。
ムーンライトながらは全車指定席です。通常は席の確保が非常に難しい列車です。
ぼくは気合入れて1か月前の10時、すなわち指定券の発売開始と同時にみどりの窓口に行き、席を確保しておりました。
しかし名古屋を過ぎて、乗車率はざっと見て6割ほど、空席が目立ちます。これもコロナの影響でしょうか。
そのうち寝てしまいました。
浜松駅、0時46分着、9分間停車し0時55分に発車します。
途中うとうとしながら静岡駅着、1時52分
昔はこの深夜の静岡駅で、お弁当の立ち売りが出てました。
今はひっそりした深夜の駅構内、停車時間も3分しかありません。
沼津駅、3時7分着
3時21分の発車まで14分間停車します
停車時間中に自由にホームに降りられる夜行列車、いいな。
夜行バスでは決められた停車休憩地以外は窮屈な座席から動けない。
沼津の次は4時40着の横浜、車掌さんの車内放送が再開されました。
そして品川、4時57分着。
次が終着、東京です。
東京につきました。5時5分着。
一昨夜の夜行バス「ペガサス号」に続いて二晩連続の夜行移動でした。
丸の内南口のほうへ向かいます。
東京駅丸の内南口のドーム。
東京駅丸の内南口
東京駅は大正3年の開業当時、南口は降車専用、北口は乗車専用と分けられていたそうです。
今はどちらも乗降ともできますが、そんなわけで南口から降りてきました。
早朝の東京駅
反対側をむいてまっすぐ行くと、この先皇居です。
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