さて、稲田神社の訪問は終わりましたが、まだ時間あります。
この近くには伊賀多気神社(いがたけじんじゃ)というのもあるようなので、そちらのほうにも足を延ばしてみます。
突き当り、右に進みます。
案内板にある「船通山」と言うのは、スサノオが高天原を追放されて出雲に降り立った地です。ならばスサノオの足跡を訪ねる旅なら行って見たい。
しかし残念ながら、昔の神様ならともかく、現代人がここから徒歩で行けるような場所じゃないので断念。
すぐに伊賀多気神社の鳥居が見えてきます。
イソタケルは古事記には出てきません。日本書紀第八段の「一書(あるふみ)」に出てくる神で、スサノオの息子と言うことになっています。
日本書紀第八段はスサノオが高天原を追放された後、ヤマタノオロチを退治しクシナダヒメと結婚して須賀の地に新居を構えるまでの話で、本文はおおむね古事記の流れと一致しています。
しかし日本書紀は「一書日~(あるふみにいわく~)」と、いくつもの別伝も併せて収録しています。その中のひとつにイソタケルの話が出てきます。
日本神話 日本書紀神代上巻第八段一書より
高天原でさんざん乱暴をはたらいたスサノオは、ついに高天原を追放された。
スサノオは息子のイソタケルを連れて新羅のソシモリに降りた。しかしスサノオは「俺はここには居たくない」と土で船を作って東に漕ぎ出し、出雲にたどり着き、斐伊川を上り鳥上之峯(とりかみのみね)にたどり着いた。そこに人を呑む大蛇がいて村人が苦しんでたので、スサノオはこの大蛇のもとに行き、大蛇を斬った。
大蛇の尾からは一本の剣が出てきたので、天に献上した。これは後に草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになる。
この時、イソタケルは多くの木の種を天から持って降りてきた。しかし朝鮮にはこれを植えず、すべて日本に持ってきて植えた。
そのため朝鮮半島の山に木はなく、日本のすべての山々には青々とした木が茂っているのである。
ここではスサノオは高天原に居る時に子供を作っており、アシナヅチやテナヅチ、そしてクシナダヒメは登場しません。また直接出雲の国に降りるのではなく、いったん朝鮮半島に降りますが「こんなとこヤダ!」と船で日本海に漕ぎ出し出雲の国に行くことになってます。
朝鮮って、神代の昔から嫌われていたのね・・・
案内板に出てくる後半のくだり、オロチとは製鉄で生計を立てている民族で、彼らに木を切るのをやめさせ山に植樹をした・・・と言うのはこの土地に伝わる伝承でしょうか。古事記・日本書紀や出雲国風土記にはそれらしき内容は見あたりませんでした。
手水舎
石段を上り、楼門をくぐります。
拝殿
イソタケルが鎮座されている奥の本殿。
ではお参りしたら引き返します。
出雲横田駅まで戻ってきました
駅舎の横に立っていたクシナダヒメの像が出迎えてくれてました。
施設名 | 伊賀多気神社 |
所在地 | 島根県仁多郡奥出雲町横田1271 |
電話 | 0854-52-0346 |
開園時間 | 参拝自由 |
料金 | 拝観料無料 |
アクセス | JR木次線出雲横田駅より徒歩15分 |
駐車場 |
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