高橋貝塚

薩摩半島紀行 9

 

鹿児島県南さつま市、玉手神社の門前に来ています

 

うっそうとした杜の中の参道を抜け、境内へ

 

拝殿の手前にあるのは土俵でしょうか

 

拝殿

 

 

本殿

どちらの神様が鎮座されているのか、御祭神はわかりません

「玉手神社」というからトヨタマビメかタマヨリビメでしょうか

 

本殿の横に案内板があります

 

ここから貝塚が発掘されたのでしょうか

 

本殿裏手には草が茂っていて、網が張ってあるのですが・・

 

草むらの中に貝殻を見つけました

 

まさかこの貝殻、はるか昔、縄文人が海から採ってきた貝?

 

こんなところに貝殻だけ捨てるやつもいないでしょうから、その可能性はありそうです

案内板に「貝塚の遺物は持ち帰らないようお願い致します」と書いてありましたので、手は触れずそのままにしておきました

 

玉手神社を後にして歩いていきますと、

 

道路の脇に何やら古びた大きな石碑

 

屯倉(みやけ)とは大和朝廷の直轄地をさしますが、もともとは租税の穀物を収納した官倉の意味でした

ここにその官倉があったのでしょうか

 

「我鹿屯倉址」の石碑

 

そこから歩いていきますと、

道路わきに建つ一本の細長い石

「高橋矢石」というそうです

 

なんでも野間山と金峰山が喧嘩し、野間山が金峰山に向けて放った矢が届かずここに落ちて刺さったものだそうな

(参考・三宅美術館

 

 

そこからさらに歩いて、堀川のほとりまで来ました

 

川の堤防の上に、なにやら石像と標柱が・・

 

「高橋 田の神」
南九州でよく見る「タノカンサァ」(田の神様)というものですね

 

タノカンサァというのは、ふひとべのべ氏のブログで知りました

 

rekishikomugae.net

 

 

 

 

右手にクワ、左手不明、

 

背中にツトを背負ったタノカンサァが高橋の田を見守っています

 

「ツト」とはわらなどを束ねて中に食品を包んだものだそうです

 

享保元年(1716年)の建立だそうです

江戸時代、暴れん坊将軍徳川吉宗の治世ですね

 

 

そのまま堀川の堤防を歩いていきます

施設名 高橋貝塚
所在地 鹿児島県南さつま市金峰町高橋93
電話  
FAX  
営業時間  
定休日  
料金 無料
交通 ☆JR伊集院駅より鹿児島交通バス枕崎行きに乗車、塘または金峰中前下車徒歩20分
☆JR枕崎駅より鹿児島交通バス伊集院行きに乗車、塘または金峰中前下車徒歩20分
(いずれも本数少ないので注意)
バリアフリー情報  
駐車場

 令和5年6月現在

 


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