豊浦宮をたずねて 1 / 青春18令和元・2年冬紀行 2日目
青春18きっぷを使っての鈍行旅、今日が二日目です。といっても、今日は日帰りで単純に往復するだけで、鉄道のレポートはありません。
そんなわけで、九州から関門トンネルを通って、山口県の長府で降りました。
ここから忌宮神社(いみのみやじんじゃ)目指して歩いていきます。
駅前の通りから、まずは表通りに出て歩いていきます。
この先、関門国道トンネル人道入り口、九州まで歩いて渡れますが・・その入り口まで6kmもあるけねーよ
そしてここが神社の入り口
左側の工場はおそらく埋め立て地で、昔は海のすぐそばに神社があったんでしょうね。
通りの先のほう
忌宮神社の門前までやってきました。
参道を進んでいきます。
そこに赤い鳥居のお稲荷さん。隣には「相撲資料館」と表示された小さな建物。
荒熊稲荷神社、だそうです。
昭和49年、荒熊稲荷神社に参拝した魁傑(かいけつ)が九州場所で優勝したそうな。
拝殿
その横に「相撲資料館」の入り口。
まだ早朝なので閉まっています。
横には小さなお社が並んでいる。摂末社のさらに末社と言ったところか。
広い境内。
「神功皇后 御手うゑ さかまつ」と彫ってある
神功皇后が逆さに植えた松が根付いて育ったそうです・・そんなことって現実にあるのかな?・・
ちなみにこの忌宮神社、第14代仲哀天皇が宮を置いていた場所です。
仲哀天皇は神功皇后の夫で、朝廷に反抗的だった九州の熊襲を征伐するために「穴門の豊浦宮(あなとのとよらのみや)」まで来て行宮を置きました。現在のここ、忌宮神社です。
天皇はその後「筑紫の詞志比宮(つくしのかしいのみや)」まで進軍し宮を移しました。ところがそこで「熊襲より朝鮮を攻めよ」と神からお告げを受けますが、それを無視した天皇は神の怒りに触れて死んでしまいました。
その後、神功皇后が神のお告げ通りに朝鮮に向けてて出兵することになります。
熊襲をそそのかして朝廷に矢を向けさせた「塵輪(じんりん)」という新羅人の首が埋まってるそうな。塵輪の首が鬼のようだったので「鬼石」なんだって。
こちらは武内宿祢が植えたという「宿祢の銀杏」
武内宿祢は古代天皇家の重臣で、300年の生涯の間に景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代にわたって仕えたと言われる伝説上の人物です。
いろんな伝承がありますが、このへんで忌宮神社の拝殿に向かいます。
すると、一斉に鳩が飛んできて
ぼくの足元を歩きだしました。エサもらえると思ってんのかな?
ぽっぽっぽ はとぽっぽ まめがほしいか・・
やらないよー
他の誰かに もらってねー
では、神門のほうへ向かいます。
施設名 | 忌宮神社 |
所在地 | 山口県調布市宮の内町1-18 |
電話 | 083-245-1093 |
開園時間 | |
料金 | 境内無料 |
交通 | 長府駅より徒歩25分 長府駅よりサンデン交通バス6分城下町長府下車徒歩5分 |
駐車場 | 有 |
前<<< 山陰本線 快速アクアライナー 浜田~益田 令和元年12月 - カリバ旅行記
次>>> 忌宮神社 後編 - カリバ旅行記
≪タクロウ作成のサイト≫
小説古事記
温泉の話
駅弁の話
古事記ゆかりの地を訪ねて
≪参考リンク≫
忌宮神社