忌宮神社 令和4年12月 後編

長門の史跡を歩く 11

 

山口県下関市長府の忌宮神社に来てます

 

駐車場に建つ大きな石碑

 

萩の松下村塾に相当するのが「長府藩集童場」で、場長熊野則之先生を顕彰する碑だそうです

 

松下村塾といえば維新の志士を数多く輩出した私塾ですが、

ここにもそんなのがあったようです

 

まあ長州といえば薩長土肥の一角を占める藩だしね

 

駐車場の隅にある小さな木造の小屋

 

集童場場長室、だそうです

 

 

 

 

そして、その脇にある石碑

「豊浦皇居址」と彫ってあります

 

ここ忌宮神社仲哀天皇熊襲征伐に進軍した際、一時滞在した長門豊浦宮だとされています。

 

仲哀天皇はその後筑紫の詞志比宮(現在の香椎宮)まで進軍しましたが、そこで「熊襲より朝鮮を攻めよ」という神託を信じず、その祟りによって崩御されました。

その後は皇后であるオキナガタラシヒメ(神功皇后)が神託の通り朝鮮に向けて進軍しています。

 

駐車場にはいろんな石碑が並んでいますが、

 

その中の、ひときわ大きな石碑

「蚕種渡来之地」と彫ってあります。

 

1800年前、秦から来た功満王(こまおう)がこの地で蚕種(カイコの卵)を仲哀天皇に献上したのが日本の養蚕の始まりだそうです。

 

もちろん伝説であり、養蚕は弥生時代にシナから伝えられたとされますが、その伝播経路には諸説あります。

 

しだれ桑

 

 

 

山桑の木

 

 

蚕のエサは桑の葉ですよね

養蚕が盛んだったころは日本各地で桑畑が見られたそうです

 

忌宮神社の境内にある「宮の内茶寮」

 

では、忌宮神社を出て、

 

毛利家の城下町、長府の町を歩いていきます

 

 

 



そして「長府毛利邸」まで歩いてきました

明治36年、毛利家14代当主の毛利元敏により完成したそうです。

 

施設名 忌宮神社
所在地 山口県下関市長府宮の内1-18
電話 083-245-1093
FAX  
営業時間  
定休日  
料金  
交通 長府駅より徒歩25分
長府駅よりサンデン交通バス6分城下町長府下車徒歩5分
バリアフリー情報
 
駐車場

令和4年12月現在

 

 

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