豊浦宮を訪ねて 2 / 青春18令和元・2年冬紀行 2日目
手水舎
手水鉢には水がありません。
でも、手水鉢に近づくと
天井のセンサーが反応して、ジャーッと水がふきだしました。
最近は神社の手水舎でもこんなのが増えたな・・
では神門のほうへ
拝殿
この忌宮神社、第14代仲哀天皇が宮を置いていた場所です。崩御後に天皇の神霊を祭ったのが忌宮神社の始まりだそうです。
仲哀天皇は朝廷に反抗的な熊襲を征伐するために「穴門の豊浦宮(あなとのとよらのみや)」まで来て行宮を置きました。それが現在のここ、忌宮神社です。
天皇はその後「筑紫の詞志比宮(つくしのかしいのみや)」まで進軍し宮を移しました。ところがそこで「筑紫より朝鮮を攻めよ」と神からお告げを受けますが、それを無視した天皇は神の怒りに触れて死んでしまいました。
その後、皇后のオキナガタラシヒメ、後の神功皇后が神のお告げ通りに朝鮮に向けて出兵することになります。
手を合わせます。
奥の本殿
摂末社の八坂神社
少し先に進むと「豐浦皇居跡」の石碑
その裏の木造建築は「集童場場長堂」という、長州藩士が創った私塾の建物だそうです。
さらに先に進むと、いくつか石碑が並んでいました。
ひときわ大きなのは「蚕種渡来之地」と彫ってあります。
秦から来た功満王(こまおう)がこの地で蚕種(カイコの卵)を仲哀天皇に献上したのが日本の養蚕の始まりだそうです。
神社の中にあるレストランン「宮の内茶寮」
まだ営業時間前です。
では、出るときは、境内をまっすぐ正面の門から外へ。
来るときは海岸沿いの国道9号から東側の門を通ってきましたが、
南側のこちらのほうが正門みたいです。
では、帰りは国道9号よりすこし内陸側の通りを歩いて帰ります。こちらのほうが旧道のようです。
その道の途中にあった「正円寺」
天然記念物の大銀杏だそうです。
境内にはなぜか、昔のホーロー看板が飾ってありました。
長府駅に向き、駅からはまた電車に乗って関門トンネルくぐって九州に帰ります。(忌宮神社/令和元・2年青春18冬紀行 完)
施設名 | 忌宮神社 |
所在地 | 山口県下関市長府宮の内町1-18 |
電話 | 083-245-1093 |
開園時間 | |
料金 | 境内無料 |
交通 | 長府駅より徒歩25分 長府駅よりサンデン交通バス6分城下町長府下車徒歩5分 |
駐車場 | 有 |
前<<< 忌宮神社 前編 - カリバ旅行記
次>>> 大村線 区間快速シーサイドライナー 佐世保~彼杵 令和元年12月 - カリバ旅行記
≪タクロウ作成のサイト≫
小説古事記
温泉の話
駅弁の話
古事記ゆかりの地を訪ねて
≪参考リンク≫
忌宮神社