「鉄道連絡線」を行く 1 / 青春18令和元年夏紀行 4日目
今治駅。まずはここから松山まで移動します。
そこに入ってきた11時8分発、伊予市行き鈍行列車。ワンマン運転、単行の電車です。
車内。ロングシートとボックスシートが対角線上に配置されています。
運転台かぶりつきで松山市まで移動します。
今治の市街地を抜け、郊外へ。
列車が進むにつれて車窓は海の気配がしてきます。
そして瀬戸内海が見えてきました。
堀江駅。貨車を再利用した待合室があるだけの無人駅。
しかしかつてはここからも、鉄道連絡線が出てました。
昭和21年から昭和57年まで、堀江港から、瀬戸内海を挟んだ仁方港(にかたこう)まで国鉄の仁堀連絡船(にほりれんらくせん)が就航し、二方駅から呉線が連絡していました。ただし堀江・仁方とも駅と港の間は徒歩連絡でした。
戦後、輸送力不足となった宇高航路を補完するために開設されたものですが、戦後の混乱が落ち着くと利用客は低迷し、民間フェリーとの競合に負けて廃止されました。
電車は進み、もうすぐ松山です。
松山に近づくと、高架線の工事が行われていました。
松山駅も高架駅になるのだろうか。
松山駅の構内
松山着。12時16分。ここで降ります。
電車はこの先伊予市まで走っていきますが、ここで多くの乗客が入れ替わります。
松山駅。
趣のある三角屋根の駅舎だが、高架駅となったらどうなるんだろう・・・
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