レストラン湖畔を出て、池を回って歩いていくと
「麻生神社」というのがあります。
手水舎と拝殿
神社の由来とか、祭神などの案内板は見当たりません。
筑豊の炭鉱王で元内閣総理大臣・現財務大臣の一族とは関係ないとは思いますが・・・
鳥居には「嘉永七年」と彫ってあります。西暦では1855年、明治維新の12年前ですね。日米和親条約が結ばれた年であります。
境内から橋がかかっています。
池の中に浮かぶ小さな島に渡る橋のようです。
池の様子。
橋を渡った島に立っているお堂。
こちらはお堂のそばに案内板がありましたが・・・字がかすれて読みにくいな。
このお堂の名は「中島弁財天社」、御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、本地仏は弁財天、だそうです。
イチキシマヒメ(市寸島比売命・市杵嶋姫命)というのは宗像三女神の一人です。
日本神話
アマテラスは高天原を支配する女神、スサノオは海を支配する男神で、姉弟であった。しかしスサノオは海の統治を放棄し高天原に昇って行った。
アマテラスは「高天原を奪おうとする魂胆に違いない」と身構えた。スサノオは自分は決して姉に逆らおうとはしていないと訴え、その心を証明するために誓約(ウケイ)を行い、互いに子供を産むことになった。
スサノオは3人の女神を産み、アマテラスは5人の男神を産んだ。スサノオは「自分の心がきれいだからか弱い女の子が生まれた」と宣言し、スサノオの潔白が証明された。
スサノオが生んだ三人の女神が宗像大社に鎮座されている宗像三女神、その一人イチキシマヒメの分霊をここで祭ってあるのでしょう。
アマテラスが生んだ5人の子供のうち長男オシホミミの子孫が現在まで続く皇室となります。
後世、日本神話の神と仏教の仏は同一の神霊が形を変えて現れてきたものだ、という考えが起こりました(神仏習合)。イチキシマヒメは、もともとはインドの神様である弁財天と同一視されたそうです。
案内板には
「阿蘇山伏の峰入り修業が行われていた時代にはこの弁財社にも必ず納札をしていた」
「社殿の建築様式は古さがうかがえますが建立の時期は詳らかでなく」
等々と記載があります。
軽く拝礼してから、また橋を渡り、麻生神社の境内に戻ってきました。
麻生神社
福岡県八女市星野村10874
電話0943-52-2565
参拝自由・拝観料無料
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