嬉野温泉から武雄温泉へ 4
日帰り入浴施設の「百年の湯」で湯に入ってから、
嬉野温泉街まで出てきました
国道34号の旧道沿いに旅館や商店が並んでいます
温泉旅館の大正屋
大正屋の前に立つ案内板
温泉水が木筒から出ています
それを受ける鉢の中は、温泉湯豆腐を模して形作られています
この大正屋のあたりに、長崎街道嬉野宿の西の木戸口があったそうです
豊玉姫神社の入り口
国道34号旧道の温泉街を歩いていきます
ちなみに現在の国道34号は温泉街の北側にバイパスが通っています
温泉町の一角「湯宿広場」
無料の足湯があり、
足蒸し湯も設置されていました
お茶屋さんもありました
「嬉野茶」は全国的にも著名な茶葉のブランドであり、温泉と並んで嬉野市の重要な観光資源となっています
お土産屋さんの「笑蔵」
この奥にレストランの「わらかど」がありますが、営業はしていないようです
たまたま今日が休みなのか、既に営業を取りやめているのかはわかりません
その道路向かいにある「シーボルトの足湯」
シーボルトというのは江戸末期に日本に滞在していたドイツ人の博物学者ですね。長崎戸江戸の往来の途中、嬉野温泉にも立ち寄っていたそうです
日帰り浴場の「シーボルトの湯」
嬉野温泉には昔から「古湯」の名で公衆浴場があり、大正時代にはドイツ人の設計によるによる洋風の建物に建て替えられて地元や観光客に利用されてきました。この建物は平成8年まで使われてきましたが老朽化のため惜しまれながら閉館・解体、平成18年に当時の姿を復元し再建され、「シーボルトの湯」となづけられました
シーボルトの湯の隣から嬉野川の対岸に渡る「嬉野橋」
昭和2年の竣工です
昔はここに渡し舟が運行していたようですね
この案内板は大村屋が掲げたものでしょうか
大村屋は天保元年創業、嬉野温泉で一番古い歴史を持つ温泉旅館です。
塩田川は藤津郡の北にある。郡の西南の託羅峯(たらのみね、現在の多良岳)を源とし東に流れて海に入る。潮が満つるときは逆流し、その流れる勢いはとても激しい。このため昔は潮高満川(しおたかみつがわ)と言っていたのが、今は訛って「塩田川」と言っている。
水源近くには深さ二杖(約6m)の深い淵があり、その岸は険しい岩壁となっていて垣根のようだ。鮎がたくさんいる。
川の東岸には温泉が湧き出ていて、人の病をよく治している
と記載されています
最後の「川の東岸に湧き出ている温泉」が嬉野温泉のことだとされています。
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