カリバ旅行記

狩場宅郎のカリバ旅行記。温泉、鉄道、路線バスなど。

橋牟礼遺跡 中編

薩摩国を行く 19

 

鹿児島県指宿市の橋牟礼遺跡に来ています

 

 

開聞岳の噴煙により埋まった縄文時代から平安時代までの集落が発掘されています

 

竪穴式住居が復元されています

 

時刻は8時30分ごろ、入り口が戸でふさがれていたのですが、係員がやってきて入り口の南京錠を外して戸を開け、中の見学ができるようにしていきました

 

西暦700年ごろの隼人の住宅を復元したものだそうです

 

「隼人」は南九州に住んでいた民族で独特の言語・文化を持ち、大和朝廷には長い間服せずたびたび反乱を起こしました。完全に朝廷の支配下に入ったのは西暦720年の「隼人の乱」に敗北してからでした。

 

rekishikomugae.net

 

住宅は西暦700年ごろとのことなので、「隼人の乱」が勃発する前後のものですね

時代区分で言うと、飛鳥時代から奈良時代(710年~・なんと立派な平城京)に移り変わるころですね

 

 

 

 

「2号住居」

 

外観のイメージとしては縄文時代の住居といった感じですね

しかし竪穴式住居というのは、地域によっては中世の室町時代まで、庶民の住居として使われていました

 

係員が戸を開放していったので、中が見学できます

まさに「竪穴」で、中に入るには板を伝って穴の中に降りていきます

 

 

 

中には一本の柱が屋根を支えており、

炉の跡も復元されています

 

 

住居内から入り口方向を撮影

 

一号住居から外に出て、

 

一回り小さな「2号住居」へ

 

こっちはかなり深い「竪穴」です

こっちは板ではなく、ステップが刻まれた柱が置かれています

 

かなり急な階段(もしくは梯子?)を、後ろ向きに手をつきながら降りてみました

 

振り返ってみます

かなり深い「竪穴」です

 

 

中の様子

 

少し離れたところにも二棟の竪穴式住居が復元されています

 



 

 

 

3号住居

鉄製品を作る鍛冶場跡と考えられるそうです

 

中の様子

 

こちらの「竪穴」は浅くて地面から一段で降りることができます

 



隣の「4号住居」

 

 

 

 

では、竪穴住居を後にして、公園内を歩いていきます

向こうに何やら小山が見えます

 

 


 

施設名 橋牟礼川遺跡
所在地 鹿児島県指宿市十二町2316-2
電話 0993-23-5100(指宿市考古博物館 時遊館COCCOはしむれ)
FAX 0993-23-5000(同上)
営業時間  
定休日  
料金 無料
交通

JR指宿枕崎線 指宿駅より徒歩10分

バリアフリー情報  
駐車場

 令和5年3月現在

 

 

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