万葉線とはここから越ノ潟(こしのかた)までを結ぶ鉄道路線ですが、昔はさらに先、富山市内まで路線が伸びていました。
元々は新富山から新湊(現在の六渡寺)までを富山地方鉄道の「射水線」(いみずせん)として運行していました。新湊からは加越能鉄道が接続し、高岡まで連絡していました。
しかし富山新港の建設が決まると、射水線は港により分断されることになりました。
昭和41年に富山側に渡船乗り換えのため新港東口駅が新設され、新港東口~越ノ潟間は廃止されました。
この結果、富山側は新富山~新港東口が富山地方鉄道射水線として残りました。
新港東口~越ノ潟間は富山県営渡船で連絡するようになりました。高岡側の路線は加越能鉄道に譲渡されました。
しかし乗客減が続き、昭和55年に富山側の射水線は廃止されました。
高岡側はその後も加越能鉄道が運行を続けていましたが、平成14年からは第三セクターの「万葉線株式会社」に移管されています。
で、今日はこの「射水線」をしのんで、かつての射水線を通って、ここ高岡から富山市内まで移動したいと思います。
そこに入ってきたきた電車、大勢の通勤通学客をおろしていきました。折り返し7時発の越ノ潟行きとなります。
なんとも完璧な「昭和の路面電車」です。
「7076」と車両番号が記されています。
調べてみると形式は「デ7060」、昭和42年製造の車両です。半世紀以上を走り続けているんだなあ・・・
車内もまさに「 The 昭和!」
電車は7時に発車。
電車は駅を出ると、高岡市内の併用軌道(道路上の線路)に入ります。
縦長の信号機を見ると、ここは雪国なんだ~と感じる。
単線の併用軌道を走っていきます。
自動両替機付きの運賃箱はありません。
投入した運賃は、運転士さんが確認してから手動で下の箱に落とします。両替もすべて手作業で行います。
ICカードなんてものは当然のように使えません。
・・・う~~ん・・・なんとも・・・
途中の駅には、安全地帯が無い所もありました。
広小路駅から複線になり
米島口駅
ここで運転士さんが交代しました。
ここから再び単線になり、しばらく道路を離れて専用軌道を走ります。
周囲は田園が広がるようになりました。
再び併用軌道に入り、複線となります。
新しい電車とすれ違います。
かと思うと、
再び単線となりました。
車窓は海が近い感じになります。
そして六渡駅(ろくどうじえき)に到着します。
ここまでは高岡軌道線で、法的には「軌道法」による「軌道」(路面電車)となっています。
ここから先は元富山地方鉄道の射水線、現在は新湊港線で、法的には「鉄道事業法」による「鉄道」となります。
とはいえ実際には両線は一体的に運用されており、乗客への営業上は「万葉線」の愛称で呼ばれます。
今乗ってるこの電車もそのまま終点の越ノ潟まで進んでいきます。
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