出雲国風土記を巡る旅 令和5年3月編 1
令和5年の3月初め、福岡から松江・出雲市へ向かう夜行バス「出雲ドリーム博多号」に乗っています。
この時期としては意外なことに、車内はほぼ満席です。米子・鳥取へ向かう夜行バスの「大山号」が廃止されたので、そちらの乗客も流れ込んできているのでしょうか
木次でおりました
定刻6時14分のところ、約5分遅れて到着
途中、中国地方の積雪のための遅れだそうです
高速木次停留所の待合室
早朝なので中に乗客は誰もいませんでしたが、周囲はまだ夜も明けきらない中、赤々と明かりがついています
雪はもう降ってはいませんが、冷たい雨が降っています
冷たい雨が降る中を歩いていきます
斐伊川が見えてきました
傘さして、斐伊川に沿って歩いていきます
すると、道路の脇に何やら見えてきました
円錐形の構造物
井戸の上にカバーがかけてあるもののようです
「くまがいさん」だそうです
スサノオの妻、クシナダヒメ(稲田姫)が子を出産するときに産湯を使った井戸だそうです。
クシナダヒメはここに来た時「いとくまぐましい所なり」(とても奥まって鎮まって良い所だ)と言ったので、ここを「熊谷」(くまたに)というようになったそうな
昭和38年ころまでこの井戸は使われていたそうです
「くまがいさん」を離れて歩いていきます
途中、鉄道の腕木信号機がありました
そのわきにはブルーシートがかけてある物体
おそらく、劣化がひどくなり見苦しくなったのでブルーシートをかけて隠した、といった感じではないでしょうか
蒸気機関車の静体保存は各地でみられるけど、屋根がない野ざらしだと、手入れをしなければすぐに風化して目も当てられない状態になるからね
斐伊川支流の久野川に沿って歩いていきます
すると、ブロック塀の中にどデーンと記念碑
「木次銅鐸 出土地跡の碑 出土年 明治24年」と彫ってあります
そしてさらに歩いていきます
道路わきには「この辺り」と題した案内板があるが、こんな細かい長文、どれだけ読まれているのだろうか
内容はこの近くの大森神社のことで、
☆その神威を恐れた村人は現在地に移転させた、
☆明治24年に銅鐸が発見された、
☆鎌倉時代に野だたら(製鉄)が盛んになった
☆江戸時代に伊能忠敬が測量に訪れた
というようなことが書いてありますが・・・
せっかく案内板を設置するなら、
もう少しわかりやすく、読んでもらえる工夫をした方がいいように思う・・・
さて、案内板の先には、その大森神社の参道の石段が見えています
施設名 | くまがいさん |
所在地 | 島根県雲南市木次町下熊川233-2 |
電話 | |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 無料 |
交通 |
JR木次駅より徒歩20分(本数少ないので注意) |
バリアフリー情報 |
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駐車場 | 無 |
令和5年3月現在
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