富山県営渡船で富山新港の湾口を越ノ潟から堀岡まで渡ってきました。
道路の先にあるのは
元射水線の線路跡を表現したモニュメントでした。
富山新港は、かつては「放生津潟」(ほうじょうつかた)と言われた広大な潟湖だったそうです。
放生津潟を浚渫し海とを仕切っていた砂州を掘削、港湾を整備し昭和43年に富山新港が開港しました。砂州の上を通っていた射水線と道路は分断されてしまい、代替として運行されるようになったのが富山県営渡船です。
富山地方鉄道の「射水線」(いみずせん)は新富山から新湊(現在の六渡寺)までを運行していました。新湊からは加越能鉄道が接続し、高岡まで連絡していました。
しかし富山新港の建設が決まると、射水線は港により分断されることになりました。
昭和41年に富山側に渡船乗り換えのため新港東口駅が新設され、新港東口~越ノ潟間は廃止されました。
この結果、富山側は新富山~新港東口が富山地方鉄道射水線として残りました。
新港東口~越ノ潟間は富山県営渡船で連絡するようになりました。高岡側の路線は加越能鉄道に譲渡されました。
しかし乗客減が続き、昭和55年に富山側の射水線は廃止されました。
高岡側はその後も加越能鉄道が運行を続けていましたが、平成14年からは第三セクターの「万葉線株式会社」に移管されています。
では、いったん堀岡発着上の前に戻り、
堀岡発着場の前に遊歩道の入り口があります。
この遊歩道が射水線の軌道跡らしいのです。
遊歩道を進んでいきます。
神社がありました
表側に回ってみますと
「猿田彦神社」だそうです。
天孫二ニギを日向に導いたサルタヒコが祀ってあるんですね。
遊歩道に戻り、さらに歩いていきます。
このあたりに射水線の堀岡駅があったようです。
さらに進むと
また神社が見えました
「草岡神社」だそうです。
拝殿の前に何やら三角屋根
何だろう、これまでの神社参詣ではこんなの見たことないが・・・雪除けかな?・・・
この駅名標、最近作られたものだよね。
射水線当時のものではないでしょう。
さらに先に歩いていきます。
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