壇の浦古戦場址

下関から門司へ 8 / 青春18令和4年春紀行 2日目

 

下関に来ています

赤間神宮に参詣し、関門橋の下を通って歩いてきました。

 

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歩道の先に庭園のようなものが見えます。

 

 

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「壇の浦古戦場址」

 

平安時代末期に栄華をふるった平家は、源氏に京を追われて下関の彦島に拠点を置きました。しかし壇の浦の戦いで源氏軍に敗退し、平家は滅亡しました。

 

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平家が奉じてきた安徳天皇は、満6歳で祖母の手に抱かれて入水し、崩御されました。

 

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安徳帝御入水之処」

 

安徳天皇を抱いて入水した二位尼の辞世の歌が刻まれています。

 

 今ぞしる

 みもすそ川の

 御ながれ

 波の下にも

 みやこありとは

 

みもすそ川(御裾川)とは伊勢神宮のそばを流れる五十鈴川の別名だそうです。

 

「いまにわかります、みもすそ川(伊勢平氏を指す)の流れを引く(安徳天皇よ)

この波の下にも都はあるのですよ・・・」

 

 

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平家軍の指揮官、平知盛の像

 

戦いのすべてを見届けた知盛は、錨を背にして入水し果てたといいます。

 

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こちらは源氏軍の指揮官、源義経

 

八艘飛びの場面ですね

 

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時代は近代に移り「馬関開港百年記念」の石碑

 

馬関というのは下関のこと。下関港が国際貿易港として開港されたのは明治8年のことです。

 

 

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そしてあずまやの中に、なにやら大砲の模型

 

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天保時代に攘夷運動のために作られた大砲のようです。

 

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その横には何やら大きな大砲が並んでいます。

 

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これも攘夷に使われた大砲ですね。

 

 

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振り返ってみます。

ここは「みもすそ川公園」というそうです。

 

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そして壇の浦古戦場址から道路を挟んだ陸側に、関門トンネル人道入り口があります。

これから歩いて九州に帰ろうと思います。

 

施設名 壇の浦古戦場址
所在地 山口県下関市みもすそ川町21-1
電話 083-231-1350(下関市観光政策課)
FAX 083-231-1853(同上)
営業時間  
定休日  
料金  
交通 下関よりサンデン交通バス 駅前バス乗り場1・2番乗り場より乗車12分 御裳川(みもすそがわ)下車すぐ
バリアフリー情報  
駐車場  

 

 

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≪参考リンク≫

山口県観光御連盟 壇ノ浦古戦場跡