火山登山 3
広島市の火山(ひやま)に至る登山道を登っています。
しばらくはなだらかな尾根道でしたが、
突如現れた、岩の間の険しい急坂を上る道
ここは手をつきながらでないととても登れません。
しかしここまで来ると、広島市内が一望できるようにもなっていました。
さらに先に進みます。
ひょうたん岩、ろうそく岩とかいうのがあるようですが、
いったいどこにあるんんだろう・・
矢印が示す方向に少し行ってみましたが、それらしきものはよくわかりません
市街地を下に見ながら
さらに険しい道を歩き通けます
今度は「八畳岩」というのがあるそうです。
言ってみますと、この平らな岩場が「八畳岩」のようです。
広島市街が一望できます。
目的の火山はもうすぐのようです。
そしてやっと着きました
「火山」山頂です。
そして山頂に立つ一本の石碑
「神武天皇烽火傳説地」の石碑
そう、なんでぼくがこんな広島まで来て山登りをしたのかというと、これを確かめるため。
ここは後に日本の初代神武天皇となるイワレビコが東征の途中立ち寄ったとの伝承が残っているのです。
皇紀2600年というのは神武天皇が即位してから2600年目の年のことで、昭和15年にあたります。
(ちなみに令和3年は皇紀2681年です。神武天皇の即位が紀元前660年とされているので、西暦に660を足せば皇紀になります)
山本村、というのはこの山のふもと、南東方向にある集落でしょうね。現在は広島市安佐南区山本となっています。
神武天皇は山本のほうから火山に登ってきたそうです。
そして山に登ったイワレビコ、のちの神武天皇は、この山の山頂で住民に行幸を知らせるため烽火(のろし)を上げました。
このことからこの山を火山(ひやま)と呼ぶようになったといいます。
ただしこの話は記紀には載っておらず、地元に伝わる伝承のようです。
その後、イワレビコは山を下りて、多祁理宮(たきりのみや)に入り7年間滞在した後、大和に向かいます。
多祁理宮は今の広島県安芸郡府中町の多家神社だとされています。
イワレビコが登ってきた山本方面を望む
尾根道はこの先武田山へと続いています。武田氏が築いた城の跡があるそうです。
でもそっちのほうにはいかずに、元来た道を引き返します。
山頂にあった三角点
では、火山山頂を後にして
登ってきた道を今度は下っていきます。
施設名 | 火山 |
所在地 | 広島県広島市安佐南区山本町 |
電話 | |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | |
交通 | アストラムライン大原駅より登山口まで徒歩20分。登山口より山頂まで徒歩1時間30分。 ほかに登山口・登山ルートは複数あり。 |
バリアフリー情報 | |
駐車場 | 無 |
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