国引き神話の地を訪ねて 20
佐志武神社に参詣してから、さらに歩いていき、神西湖のそばまでやってきました。
開いてたらひと風呂浴びようか・・・と中に入ってフロントに行くと、平日の日帰り入浴は15時からと言われた。今はまだ午前11時。
まあ最初から、時間があれば立ち寄ってみよう、くらいの気持ちだったんで、営業時間まで詳しく調べていなかった。
温泉施設の敷地内から見る神西湖
温泉施設の隣「神西湖畔広場」
神西湖は出雲国風土記には「神門水海」(かんどのみづうみ)と記載されいてます。
その当時は現在よりはるかに大きく、日本海と通じた汽水湖で、「薗の長浜」はあたかも三瓶山と日御碕をつなぐ綱のように伸びていた砂州だったと思われます。
出雲国風土記には、神門水海について
神門水海は郡家(郡役所)の西に四里五十歩(2.2km)の場所に在り、周囲は三十五里七十四歩(18.8km)である。そこにはボラ・クロダイ・スズキ・フナ・カキが生息している。
水海と大海(日本海)の間に山がある。その長さ二十二里二百三十四歩(12.2km)、幅三里(1.6km)である。これは意美豆努命(おみづぬのみこと)が国を引いてきたときの綱である。今、現地の人は「薗の松山」と読んでいる。そこには土も岩もなく白砂だけが積もり、そこに松原が茂っている。
その松は四方から風が吹き砂が飛んで埋まってきている。いずれはすべて埋もれてしまうのだろう。
松山の南端・美久我(みくが)の林から、石見と出雲の境にある中島の岬までの間は、平らな浜や荒々しい磯が混在している
という風に紹介してあります。
古代の神西湖の姿がイメージできるでしょうか。
この標柱は出雲国風土記に記載がある地に建てられています。
出雲の国風土記の時代(西暦733年に完成)から1300年、神門水海は堆積が進み、現在の神西湖の周囲は約5.3kmです。
周囲の地理と神西湖の変遷
この地図に「薗松山」と記載されている場所は、先ほど参詣した長浜神社ですね。
かつて「神門水海」と呼ばれていた神西湖
展望台のようなものがあり
登ってみました。
公園の全景
温泉施設の裏に納涼船が浮かんでいました。
では、神西湖を離れて
神西湖沿いの道路を歩いていきます。
神西湖を見ながら、ひたすら歩き
JR江南駅までやってきました。
「江南」というのはすなわち神西湖の南、という意味なんでしょうね。
施設名 | 神西湖湖畔広場 |
所在地 | 島根県出雲市湖陵町二部2890-5 |
電話 | |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 無料 |
交通 | ☆JR出雲市駅より一畑バス小田線に乗車、湖陵温泉入口停留所下車徒歩15分(本数少ないので注意) ☆JR江南駅より徒歩25分 |
バリアフリー情報 | 園内に段差はほぼ無し、遊歩道は舗装されている |
駐車場 |
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≪参考リンク≫
出雲商工会議所 神西湖