長崎路を行く 9
長崎に来ています。
ここは江戸時代、オランダ人が住んでいた出島の南西端。
出島は江戸時代初期に埋め立てて造られた人工島ですね。明治以降、周囲も埋め立てられて今は長崎市内に埋もれています。
西暦1638年、幕府の禁教政策に基づきポルトガル人を管理するために築造されました。ポルトガル人の追放後はオランダ商館を置き、鎖国下の日本において唯一の西洋との窓口となりました。
そこから回って、ここは出島の西側
これは出島の「水門」
江戸時代、この水門がオランダと通じる唯一の窓口だったんですね。
水門を離れて、交通量の多い国道499号を歩いて中嶋川を渡り、川の対岸へ。
中島川の対岸から見る出島
白壁の部分が出島です。
ただ、この出島は明治以降、中島川の改修工事に伴って削られているそうです。
なんか、こんな感じみたいです。よ―わからんが・・・
そして、出島に渡る出島表門橋
もともと、江戸時代からここに出島橋がかけられていました。幕府から許可を受けた商人や幕府の役人・通詞といった人たちが渡っていたのでしょうね。
明治22年に撤去されたそうです。
かつてかかっていた出島橋の場所に、現在の出島表門橋がかけられたのが西暦2017年、平成29年です。
出島表門橋の向こうが出島
この先、入場料520円でが必要です。
中には入らず、橋の中ほどで引き返しました。
まったく、グラバー園にも大浦天主堂にも出島にも、有料だからと中には入らないで・・・何のために長崎まで来たんだろうね・・・
そして出島橋。
出島周囲をぐるっと一周してきました。
こちらの出島橋は明治43年にかけられたものです。
一般に共用されている道路橋としては最古のものだそうです。
まあでも、出島の中には入らなかったものの、こうやって周囲を一周回っただけでも数々の遺構を見学できました。
そして、出島を離れ、
長崎電気軌道の「築地中華街」停留所まで歩いてきました。
ここから5番系統の蛍茶屋行きの電車に乗り、
「諏訪神社」停留所で降ります。
地下道を通って諏訪神社へ向かいます。
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出島