この酒折宮、ヤマトタケルが蝦夷征伐の帰途に滞在したところです。
この地である夜、ヤマトタケルはかがり火の前で歌を詠みました。
「新治 筑波を過ぎて
幾夜か寝つる」
と。
ヤマトタケルに付き添ってきた従者たちは、何も答えませんでした。
すると、火の番をしていた身分の低い老人が答えました。
「かがなべて
夜には九夜
日には十日を」
これを聞いたヤマトタケルはとても喜びました。そしてその老人を東国の国造(地方長官)に任命したということです。
社号標
正面は「酒折宮」ですが、
側面は「日本武尊御旧跡」と彫ってあるのででしょうか
(下から二番目の文字は「旧」の旧字「舊」が下の部分が臼ではなく旧となっております。また一番下の文字は「跡」のようですが、つくりの部分が「ム」の下に点三つとなっています。
この二字、ワープロで探し出せませんでした)
奥に進みます
「本居宣長碑」だそうです。
碑に刻んである文章らしいですが、なんのこっちゃ?
ぼくにもさっぱり分かりません。
「本居宣長」(もとおりのりなが)は江戸時代の国学者。「古事記伝」を著作し、現在に至る古事記研究の礎を築きました。
隣に手水舎がありました
しかし水は出ていません。
で・・・
手水舎の柱にアルコールが入ったポンプが括り付けられていました。
まあそりゃ、ちょろっと手をすすぐのは宗教儀式以上の意味はなく、科学的にもコロナ対策としても、きちんとアルコール消毒するのが正解なんだろうが・・・
その隣にあるのが「 山縣大貳碑」
この人物はぼくは今日ここに来るまで知りませんでした。
明治時代に総理大臣をつとめた山縣有朋のことかと、この時は思っていたのですが、
帰ってきてから調べてみると、山縣大弐というのは江戸時代の甲斐出身の儒学者で、山縣有朋とは関係ないようです。
ここも横の看板に碑文が書かれているのですが、ぼくが理解できないので写真は割愛します。
さらに奥へ進んでいきます。
拝殿
手を合わせます
一段高いところに本殿がありますが、そこへは近づけません。
奥のほうに何やら小さな祠
そして境内には注連縄でかこまれた謎の神域
皿に祠がいくつも並んでいました
そんなわけでお参りを済ませ、帰りは東側の出入り口から出てきました。
酒折駅に戻ります。
酒折宮
055-231-2690
JR酒折駅より徒歩10分
駐車場 有
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酒折宮