諏訪大社上社本宮のお参りを終えて、東門から出てきましたが
その後継ぎの墓がここにあるということでしょうか。
明治維新前、まだ神仏混交のころのこの周辺だそうです。
そして坂道を登っていきますと
くすんだ赤色の山門が現れました。
「法華寺」だそうです
吉良義周の墓
「吉良上野介の嗣子義周の墓が、本堂裏に現存する」
「名門吉良氏の最後の当主の墓としては、まことにみじめで・・・」
ぼくは古代史と神話に興味あっても、中近世の歴史には疎いのですが・・
吉良上野介義央が赤穂四十七士によって斬殺されたのち、吉良家は孫の義周が家督を継いだ。しかし事件を起こした責任を問われて吉良家は義周を最後に断絶、義周の身柄は諏訪藩の4代藩主諏訪忠虎に預けられたそうな。
「法華寺」というから日蓮宗の寺かと思えば、そうではなく臨済宗でした。
まあ考えてみれば、法華経は別に日蓮宗だけの経典というわけではないもんね・・
お寺の本堂
その脇から
吉良義周の墓とやらへ続く通路があります。
先へ進んでいくと
なにやらいろいろ並んでいます。
ここが吉良義周公のお墓らしいです。
手を合わせてから戻りました。
ちなみに後から知ったのですが、この法華寺、織田信長が武田氏攻略の論功行賞を行ったところでもあるそうです。その席で明智光秀が信長から辱めを受け、それが本能寺の変につながったのだとか。
長野県諏訪市中洲神宮寺856
0266-52-3361
JR茅野駅より徒歩40分
駐車場 有
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