今回の旅の最後の目的地、多家神社にやってきました。
入ってすぐ右手にあるのが
「蹕」とはこれまで見たことない字ですが、
「御留蹕霊地」とは「おんりゅうひつれいち」とでもよむのでしょうか。
調べてみたら「蹕」の字は「ヒチ・ヒツ・さきばらい」という読み方があるそうです。
まあそれはともかく、ここは神武天皇が東征の際、一時滞在して宮を置いたところなのです。
古事記によると、日向を出発したイワレビコ、後の神武天皇の一行は、豊国の足一騰宮(あしひとつあがりのみや)・筑紫の岡田宮(おかだのみや)を経て、安芸の多祁理宮(たきりのみや)に至り、ここで7年滞在したそうです。
その「安芸の多祁理宮」が、ここ、多家神社だと云われています。
多家神社、カッコ書きで「埃宮」(えのみや)
祭神は神武天皇です。
古事記では「多祁理宮」ですが、日本書紀では「埃宮」となっています。
イワレビコはこの後、吉備の高島宮を経て大和まで進軍し、大和の白檮宮(かしはらのみや)で初代天皇として即位しました。
手水舎がありましたが、水は出ていません
神社はこの石段の上の方です。
階段を登り切り、鳥居に拝礼して奥へ
そこにも手水舎がありました。
手水鉢は船の形をしている。
瀬戸内海を東に進む神武天皇の船団をイメージしているのか。
しかしそこにも水は出ていませんでした。
これもコロナのために止められてるのか・・
境内の一角にあるお社
「宝蔵(ほうぞう)」だそうです。
「校倉造」(あぜくらづくり)といわれる建築様式ですが、一般的な校倉造とは違って六角形の柱を組み合わせているそうです。
先に進むと、拝殿の前に軽ワゴンがとまっていますが・・
数人の男が拝殿で作業をしています。
戸を取り払ったり、賽銭箱を撤去して大きな箱を据え付けたり・・・
何なんだ・・・と思いましたが、どうやら今日は祭礼の日らしい。夕方からの祭礼に備えて準備作業をしているようです。
このコロナの世の中にいいのか、思いっきり「密」になりそうだ・・と思ってしまったが・・
拝殿、前に停められた車が写らない角度から撮影
奥の本殿
本殿の浦には小さな祠
学問の神・菅原道真公を祀った「天神社」だそうです。
上ってきた石段を降りていきます。
石段下りたところに摂末社があるようです。
水の神「貴船神社」だそうです。
てをあわせて、引き返します。
この後、また鈍行列車を乗り継いで九州まで帰ります。
これで今回の2泊3日の旅、完結とさせていただきます。お読みいただきました皆様、ありがとうございました。
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多家神社(埃宮)