木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)(以下、カルと表記)の墓と云われる東宮山古墳までやってきました。
石段の横に建立されている歌碑
天飛ぶ 鳥も使ぞ 鶴が音の 聞えむ時は 我が名 問わさね
天を飛ぶ鳥も伝言の使者なのだよ。鶴の声が聞こえたときは、わたしの名を告げその近況を尋ねてくれよ・・・
カルが伊予の道後温泉に流刑となっていく途中、妻であり妹であるソトオリに届けと願いを込めて詠んだ歌です。古事記下巻に収録されています。
鳥居の横に「東宮山」と彫られた石柱
カルは第19代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の皇子です。次期天皇の座が約束された皇太子でした。
しかしカルは同母の妹であるソトオリと情を通じ合っていました。古代にあっても同母のきょうだい間で愛し合うことはタブーとされていました。
このことが知れ渡ると、カルから人心は離れていきます。朝廷の官僚も市井の庶民も次の皇位は聡明とうわさが高い、カルの同母弟のアナホがふさわしいと考えるようになりました。
そんな朝廷の空気がいたたまれなくなったカルは、朝廷を飛び出し家臣のオオマエコマエの屋敷に逃げ込み、挙兵の準備を始めました。アナホはカルを捕らえるべく軍を出してオオマエコマエの屋敷を取り囲みます。
オオマエコマエはカルに投降するよう説得し、カルはこれに応じました。
皇軍に捕らえられたカルの皇太子の地位は剥奪され、伊予の湯(道後温泉)に流刑にされました。
都に残されたソトオリでしたが、その後カルを追って道後温泉にたどり着きました。
・・・そしてカルとソトオリは自害して果てたといいます。
長い石段を登り切りました。
先日の台風で飛ばされてきたのでしょう、いたるところに枯れた小枝が散乱しています。
しかし、現地の案内板では古事記とはちょっとニュアンスが違ってますね。
ここではカルが流罪になった理由が同母妹との不倫とは書いてません。
案内板だけ読むと、カルはアナホとの政争に敗れて流罪になったような印象を受けます。
そして道後温泉に着く前に嵐でここに流されて定住し、没後はここに葬られた・・ということになってますね。
正面の墳丘、カルの墓ですね。
ちなみに日本書紀ではまた少し違った物語になっており、伊予に流されたのは妹のソトオリの方で、カルはオオマエの屋敷で自害したことになっています。
いずれにしてもカルは皇族には違いないので宮内庁が管理しているようです。
脇にはなにやらお社があります。
案内板にあった「春宮神社」でしょうか?
カルが眠る東宮山古墳
横に細い通路があります
古墳の周囲を一周できるようです
墳丘の頂上付近
ぐるっと一周して元の境内に戻ってきました。
しかし、途中もろに蜘蛛の巣に頭を突っ込んでしまった・・・
境内の隅にあった祠
謎のコンクリートの構造物
この上に何かのお社でも立っていたのでしょうか。
これまた謎の構造物
石で蓋がされて、周りをステンレスの柵で囲まれています。
いったい何なんだろう・・・
では、東宮山古墳を後にして
元の道を戻り、一貫田(いっかだ)停留所まで戻ってきました。
そこにやってきた10時38分発新居浜行きの瀬戸内運輸バスに乗りこみます。
約13分で伊予三島駅に到着、ここで降ります。
東宮山古墳
JR予讃線 伊予三島駅・川之江駅からせとうちバスに乗車、一貫田下車徒歩15分(本数少ないので注意)
高速バス 三島川之江IC停留所より徒歩5分
駐車場無し
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