大宰府跡までやってきました。
大宰府は古代、九州全域の行政や外交、国防までをも管轄していた行政機関です。
ちなみにこの地方行政機関を指す場合は「太宰府」ではなく「大宰府」と書きます。
奥に進んでいきます。
何やら石碑が三つ
裏を見ると、 明治5年に建立されたもののようですが、何と書いてあるのでしょうか
「都督府古址」?・・・
(令和3年5月16日追記、「都督府」というのは大宰府の唐名のようです)
はるかな古代、ここにいくつもの官舎が立ち並び、大勢の役人が働いていたのですね・・。
発掘調査されてきれいに公園として整備されたのは、つい最近のことなんですね。
「都府楼前」とはいうものの、都府楼こと大宰府政庁跡からは歩いて20分ほどかかりました。
ここから電車に乗って帰ります。
駅名標にはカッコ書きで「令和の里」
元号の「令和」は万葉集からとられています。西暦730年、太宰帥(だざいのそち、大宰府の長官)に任じられた大伴旅人が、大宰府の邸宅で開かれた宴の様子を表現した文章がもとになっているそうです。
大宰府跡
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≪参考リンク≫
大宰府観光協会 大宰府政庁跡