鐘の鳥居から石畳の参道を登って歩くこと30分少々。
見えてきました、英彦山神宮(ひこさんじんぐう)の奉幣殿です。
石段を登りきると、 左手に奉幣殿、正面に「石の鳥居」があり、そこから英彦山本社に続く登山道が伸びています。
奉幣殿。山伏が参集する様々な祭典が行われる主殿として使われてきたそうです。
元和二年(1616年)小倉藩主細川忠興により再建。江戸時代の草創期ですね。
梵鐘、南北朝時代(1300年代)に玉屋般若窟にかけられていましたが、文禄三年(1594年)に豊前領主毛利吉勝が追銘寄進した、のだそうです。
境内の一角「天之水分神(あめのみくまりのかみ)」
しかし、凍ってつららになってる!
龍神のあごからもつららが下がっています。
噴き出ている水は、もちろんそれこそ氷のような、冷たい水でした。
「石の鳥居」
寛文三年(1663年)、佐賀藩主鍋島光重が寄進建立したものだそうです。ここから山頂の御本社に向かって参道が伸びています。
参道といってもこの先、かなり険しい登山道です。
今日は山頂の御本社まではいかないので、ここから遥拝します。
英彦山神宮の御祭神はオシホミミだそうです。高千穂に天下ったニニギの父親になります。
オシホミミは皇祖アマテラスの子です。日の御子の山なので「日子山」と呼ばれ、後に「英彦山」と書くようになったそうです。
さて・・・
山頂まではいきませんが、この先、石段ををちょこっと上ったところに摂社の「下津宮」がありますので、そこまでは上ってみようかと思います。
鳥居をくぐって少し進んだところにある「下津宮」
最近修理したようで、交換した新しい木材部分が目立ちます。
下津宮から見る奉幣殿の屋根
では、ここからまたもとの道を降りていきます。
登ってくるときは、果てしなく上へ上へと続く感があった参道ですが、
降りるときも当然、果てしなく下まで続く感じ。
銅の鳥居(かねのとりい)まで戻ってきました。
裏側から見る銅の鳥居。
銅の鳥居をくぐると車道に出てきました。
車道に横断歩道がありますが、その先
荒れ果てた石畳の道が続いています。
車道ができる前の参道でしょうね。
では駐車場に戻ります。
JR日田彦山線彦山駅より添田町バス30分銅の鳥居または別所駐車場下車(本数少ないので注意)
銅の鳥居より奉幣殿まで徒歩40分、スロープカー15分
別所駐車場より徒歩30分
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