木の国を行く 2
さて、おさまってきたとはいえ、まだまだ風は強く、傘がひっくり返ったりマフラー飛ばされたりしながら・・・
最初考えていた通り牛丼屋で朝メシ食ってから、今日最初の目的地に向かいます。
お店を出たときには、空はすっかり明るくなり、雨風も治まって静かになってました。
今日最初の訪問地、水門吹上神社(みなとふきあげじんじゃ)
「水門神社」と「吹上神社」が合祀されて「水門吹上神社」となってるようですね。
水門神社の御祭神はえびす様と言われるヒルコ。日本の国を産んだイザナギとイザナミの間に、最初に産まれた子ですね。西宮神社が総本社です。
吹上神社のほうはオオアナムヂ、オオクニヌシの別名です。
ただ、単にえびす様のヒルコや、オオクニヌシを祀っている神社だけなら全国各地にあります。
ここはそれとは別に、日本神話においては重要な伝承地なのです。
鳥居をくぐって境内へ
手水舎
拝殿で手を合わせます。
奥の本殿
さて、この神社の境内の一角に、それはありました。
「神武天皇聖蹟男水門顕彰碑(じんむてんのう せいせき おのみなと けんしょうひ)」
石碑の裏にその由来が彫ってあります。ちょっと読みにくいが、文字に起こしてみると
神武天皇血沼海ヨリ廻リテ紀國ノ男水門ニ至リ給ヘリ時ニ皇兄五瀬命賤奴ガ手ヲ負ヒテヤ死ナント宣ヒ男建シテ薨ジ給ヒシニ因リ男水門ノ名ヲ得タリ○○○○附近ナリト傳ヘラル
(○○○○の部分は岩が欠けており判読不能)
わかりやすく言うと
「神武天皇は血沼海(ちぬのうみ)から紀伊の男水門(おのみなと)に回ってきた。その時、兄の五瀬命(いつせのみこと)は『賎しい敵から傷を負って死ぬのか』と雄たけびして亡くなった。このことからその地を男水門というようになった。○○○○附近と伝えられる」
ということです。
ただこれだけでは、神武東征の流れを知らなければ今一つ理解できませんね。
石碑の建立は昭和15年、そのころは神武東征の話は一般常識として日本人なら誰でも知ってたから、この説明書きだけで十分だったのでしょう。
戦後は日本神話は学校教育でも一切教えなくなり、2月11日が「建国記念の日」という祝日だということは知っていても、「なぜこの日が日本建国の日なのか」ということは誰も知らなくなりました(少なくともぼくの周りで答えられた人は皆無です)。
アマテラスの孫ニニギは高天原から日向に降臨しました。
ニニギの子孫であるイツセとイワレの兄弟は、日本全体を平安に統治するため本拠地を日向から東のほうに遷すことを決意し、日向の地を出港して大和に向かいます。
そして現在の大阪湾から上陸しようとしたのですが、ナガスネビコの攻撃に会い兄のイツセは負傷してしまいました。兄弟は南に回り、熊野から上陸することにしていったん退却します。
このとき、イツセが受けた傷を洗った場所が「血沼海」です。現在の泉佐野市付近といわれています。
そしてこの地についたとき、イツセは「こんな賎しい敵から傷を負って死ぬのか!」と雄たけびして、そのまま亡くなりました。なのでその地を男水門というようになりました。
イツセが雄たけびして亡くなったのがここ、水門吹上神社です。
イツセの亡き後、弟のイワレは軍を率いて、紀伊半島の南端の熊野から上陸して大和を目指します。そしてナガスネビコとの決戦に勝利し、大和の橿原宮で皇室の初代・神武天皇として即位しました。西暦でいうと紀元前660年2月11日のことで、これをもって日本の建国とされています。
本殿の横にある、摂末社のお稲荷さん。
和歌山市駅まで戻ってきました。
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