九州北部には神功皇后にまつわる伝承地が数多くあります。記紀に記載があるものでも香椎宮、宇美八幡宮、鎭懐石八幡宮、玉島神社、等々。
記紀に記載のないものまで含めると、宮地嶽神社からその土地の郷土史研究家しか知らないような小さな石碑まで、大小さまざま残っています。
今日はそのひとつ、福岡県糸島市の鎭懐石八幡宮を訪ねてみます。
博多から福岡市営地下鉄に乗ります。地下鉄電車は姪浜からJR筑肥線に乗り入れ、筑前前原まで直通します。筑肥線(一部唐津線)姪浜~西唐津間はJR九州唯一の直流電化区間です。
高度経済成長期から平成初期にかけて、首都圏や関西圏で大量の通勤客をさばいてきた電車です。
のっぺりした非貫通の顔、三分割され傾斜がついた前面窓。昭和期の通勤光景を描いた画像・動画には必ず出てきます。
もっとも筑肥線を走っているのは福岡市地下鉄乗り入れ用として国鉄末期に投入された1500番台、さらにJR九州が独自の改造をしてますので、首都圏や関西圏を走っていた電車とは大きく違った外観になっています。
車内。
二段窓や金網の荷物棚などに国鉄の香りが残っています。
筑前深江駅で降ります。 筑前前原からは10分、博多からは50分の道のりでした。
ここから歩いていきます。
駅前から、国道202号を西に向け歩いていくと
目指す鎭懐石八幡宮の看板がありました。
「次の信号20m先の踏切を左折」と書いてあります。
看板にあった「次の信号」です。国道202号バイパス、深江インター入り口の交差点。
この信号の少し先の踏切、クルマで来たときはここから曲がってください。
ぼくはもう少し先のほうまで歩いていきます。
そこには歩行者しか渡れない踏切があります。
その踏切の先が、目指す鎭懐石八幡宮です。
踏切の反対側を見ると、その先は海。
正面に姫島が見えます。
海岸に出てみました。
後ろを振り返ります。
まっすぐ先のほうが鎭懐石八幡宮です。
こんな風に海岸から参道が直線に伸びる神社、筥崎宮や宮地嶽神社もそうでした。
海から来た神様がまっすぐ神社のほうに行けるような構造になっているのかな?
改めて元に戻り、踏切を渡ります。
踏切わたると注連縄が渡してある石柱。
拝礼して通ります。
そして神社の正面までやってきました。
神功皇后が兵を率いて朝鮮に進軍した時、既に皇后は御子をみごもっていました。皇后は腹に丸い石を当てて生まれそうになるのを鎮め、筑紫に帰り宇美の地で御子を産みました。この時産まれた御子が後の応神天皇、今は八幡神として全国各地に祀られています。
この時、腹に巻いて鎮めた石は、古事記には「筑紫の国の伊斗村にある」と記載されています。この鎭懐石八幡宮がその地だと言われています。
鳥居の横には「万葉歌碑」なるものがあり、
安政6年(1859年)に建てられた、九州最古の歌碑だそうです。
江戸時代の末期、日本史の授業で出てくる「安政の大獄」の真っ只中ですね。
その横に手水鉢、ずいぶん古びた石の蜂の上に水道の蛇口が突き出ていました。
「船繋石」
神功皇后が舟を繋いだというのは北部九州各地に伝承が残っています。
石造りの囲いの中には、人の頭くらいの石がコンクリートの中にかためられていました。
施設名 | 鎭懐石八幡宮 |
所在地 | 福岡県糸島市二丈深江2310-2 |
電話 | 092-325-0309 |
開園時間 | |
料金 | 拝観料無料 |
アクセス | ☆筑前深江駅より徒歩15分 |
駐車場 | 有 |
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鎭懐石八幡宮