粟嶋神社を訪ねて 3 / 青春18令和元年夏紀行 最終日
粟嶋神社の階段降りて平地まで来ました。
摂末社がいくつか並んでいます。
その奥のほうに行って見ますと
神が海から上陸するという「御岩宮祠」や、不老長寿の人魚の肉を食べて、若い娘のまま800年生きた八百比丘尼が晩年こもって過ごしたという「静の岩屋」があるそうです。
奥に進むと
二股に分かれた道、右に行くと「御岩宮祠」、左に行くと「静の岩屋」のようです。
右側に進んでみます。
鳥居の扁額には「大岩宮」の文字、その横の「大岩神祠」の木柱
スクナビコナもここから上陸したんですね
鳥居の奥に祠が作られていて
裏側から見ると、こんな感じでした。
少し戻って、「静の岩屋」のほうに進んでいきます。
ぬかるんだ径にシートが敷いてあるが、これが滑る!
本当に転んで、ジーンズに泥がついて手をすりむいてしまった。訪れる際はご注意を。
そんなこんな進んだ先は広場になっていて、その端にありました。
静の岩屋、鳥居の扁額には「八百姫宮」
ここは人魚の肉を食べたという八百比丘尼が晩年を過ごしたところだそうです。
八百比丘尼の伝説は、福井県の小浜地方を中心に各地に残っています。
昔、この地の若い娘が間違って人魚の肉を食べました。人魚の肉を食べると不老不死となるそうです。
しかし自分は若い娘のまま、まわりの身寄りも知り合いも老いて亡くなっていくという孤独さに娘は耐えられず、出家して尼となり、岩穴にこもりました。そして絶食し、八百年後に亡くなったそうです。
鳥居の奥には柵があり
柵の奥はこんな感じ
人魚の肉を食べた娘さんは 、こんなところで800年も過ごしたのでしょうか。
では、ここで引き返します。
帰りは近くのバス停からバスで帰ろうか・・・と思ったのですが、
まだ時間あるし、青春18きっぷも持ってるので、また河崎口駅まで30分歩くことにしました。
途中にあった「米川」
江戸時代に灌漑用水路として掘られたみたいですね
河崎口駅まで戻ってきました。
やってきた米子行きのキハ40は目玉おやじのペイント。
米子駅まで戻ってきました。行き止まりの0番ホーム。
施設名 | 粟嶋神社 |
所在地 | 鳥取県米子市彦名町1404 |
電話 | 0859-29-3073 |
開園時間 | |
料金 | 拝観料無料 |
交通 | 米子駅より日ノ丸バス内浜線17分、淡島神社前 下車徒歩5分 |
駐車場 | 有 |
前<<< 粟嶋神社 前編 - カリバ旅行記
次>>> 山陰本線 快速アクアライナー 米子~浜田 令和元年9月 - カリバ旅行記
≪古事記の話≫
海から来た小さな神
クエビコとスクナビコナ
スクナビコナ、去る
≪タクロウ作成のサイト≫
古事記の話
温泉の話
駅弁の話
≪参考リンク≫
米子市観光協会 粟嶋神社