粟嶋神社を訪ねて 2
粟嶋神社目指して歩いていきます。
正面のこんもりした小山が粟島神社ですね。
江戸時代、この一帯が干拓されるまでは中海に浮かぶ小島だったそうです。
鳥居に拝礼して奥へ
粟嶋神社の御祭神はスクナビコナ、
出雲大社に鎮座されているオオクニヌシと一緒に日本の国造りをしてきた神様です。
造化三神の一人カミムスビの子で、指の間からこぼれるほど小さな身体でした。蛾の皮の着物を着て、草の実を二つに割った船に乗って出雲の美保岬に巡行に来ていたオオクニヌシのもとにやってきました。
その小さな身体には、医療・呪術・酒造その他もろもろ、あふれんばかりの知恵を持っておりました。
スクナビコナはその後、オオクニヌシのもとを離れ、常世の国へ渡っていったそうです。
また、この地に住んでいた長者が88歳で子を授かったのでこの地を「米子」というようになったという話や(「米」を分解すると「八十八」になる)
不老不死になるという人魚の肉を食べたばかりに若い娘の姿のまま800歳まで生きることになった「八百比丘尼」の伝説が残るそうです。
手水舎
ここ粟嶋、スクナビコナが粟にはじかれて常世の国にわたっていった地だそうです。
日本神話 日本書紀一書(あるふみ)より
ある日、オオクニヌシとスクナビコナは伯耆の国に来ていた。そこは二神が協力して造った、粟の畑が広がっていた。
オオクニヌシは豊かに実った粟を見ながら言った。
「スクナビコナ、そなたのおかげで日本の国も栄え、民も豊かになった。これからも日本の国づくりのため力を貸してくれ、頼むぞ」
しかしスクナビコナは黙っていた。しばらくの後、おもむろに口を開いた。
「オオクニヌシさま、私の持っている知識は、もうすべて日本の民に伝えました。お別れです。私は遠い国に行かねばならないのです」
そういうとスクナビコナは粟畑の中に入っていき、一本の粟に登ったと思うと全体重をかけてぶら下がった。大きくしなった粟の茎は次の瞬間ピーンと元に戻り、その勢いでスクナビコナははじかれ、風に乗って遠くに飛んで行ってしまった。
スクナビコナに去られて落ち込むオオクニヌシでしたが、この後大神神社のオオモノヌシの後援を得て日本の国を完成させていきます。
鳥居の先から石段が始まります
石段を登っていき
神門が見えます。もうすぐ頂上ですね。
神門をくぐると
小山の頂上、奥に拝殿が見えます。
拝殿
手を合わせます
スクナビコナが鎮座される本殿
本殿の奥、 出雲大社遥拝所だそうです。ここからオオクニヌシの出雲大社をおがめるのかな
境内からは貴重な海鳥が飛来するという干潟が望めます
一方、境内の端にあるのが伊勢神宮遥拝所。ここからお伊勢さんのアマテラスを拝めるのでしょうか。
では、元の石段を降りていきます。
その石段の途中に鳥居がありました。
鳥居の奥に進んでみると
小さな摂末社がありました。
降りてから案内板を見ると「荒神宮」となってました。
施設名 | 粟嶋神社 |
所在地 | 鳥取県米子市彦名町1404 |
電話 | 0859-29-3073 |
開園時間 | |
料金 | 拝観料無料 |
交通 | 米子駅より日ノ丸バス内浜線17分、淡島神社前 下車徒歩5分 |
駐車場 | 有 |
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≪参考リンク≫
米子市観光協会 粟嶋神社