さて、呉橋から渡った先、参道の右手
いろいろ案内板がありますが、その奥
「聖跡 一柱騰宮跡」
一柱騰宮、「あしひとつあがりのみや」と読みます。
これは正史である日本書紀の表記で、古事記では「足一騰宮」と表記されています。
この一柱騰宮、何かというと
日本神話
アマテラスの孫、ニニギは日本を統治するために日向に降臨した。
ニニギの4代目、イツセとイワレビコの兄弟は
「日向の地は西に寄りすぎている。日本をくまなく統治するためにはもっと東に行ったほうがいい」
と宣言し、日向の地を船出した。
イツセとイワレビコは九州の東海岸を北上し、宇佐の地にいったん上陸した。宇佐の地に住むウサツヒコ・ウサツヒメはアシヒトツアガリノ宮をたててイツセとイワレビコを歓迎した。
アシヒトツアガリノ宮とは川と陸上にまたがって建てた宮殿と言われます。川から陸上に足を出して上がろうとしてるから「アシヒトツアガリノ宮」というわけなんですね。
先ほど呉橋から見た寄藻川、この川の中に柱を立てて宮殿が建ってたんでしょうね。
この後イツセとイワレビコは筑紫の岡田宮に入ります。そこから瀬戸内海を東進して大和の地を目指しますが、その途中兄のイツセはナガスネビコの軍勢と戦って戦死します。弟のイワレビコは軍勢を進め、大和に入り橿原宮で皇室の初代となる神武天皇として即位しました。
石碑の奥に進んでいくと、宇佐神宮の摂末社がいくつか並んでいます。
「願掛け地蔵尊」だそうです。
で、ぐるっと回って、宇佐神宮の表参道入口まで回ってきました。
「神武天皇聖跡菟狭顕彰碑」
じんむてんのうせいせきうさけんしょうひ、と読むのでしょうか。
石碑の側面には「昭和十五年十一月 紀元二千六百年奉祝會」と彫ってあります。昭和15年は神武天皇が即位されてから2600年目の記念の年でした。
令和元年の今は紀元2679年になります。
では、鳥居をくぐって宇佐神宮のほうへ。
手水舎
三つ巴の石から水が湧き出しています。
脇のほうに行けば「弥勒寺跡」だそうです。ちょっと行って見ます。
その途中にある摂末社、右側の立て札には「八坂神社」祭神はスサノオ、左側の立て札には「養蚕神社」祭神はアマテラスだそうです。
中にはお社が一つ。この中にアマテラスとスサノオの姉弟が同居してるのでしょうか。
弥勒寺跡。かつて神仏習合の時代にはここに神宮寺が立っていたんですね。
では、元の参道に戻ってきました。
左側に行けば上宮 、右側に行けば下宮です。
施設名 | 宇佐神宮 |
所在地 | 大分県宇佐市南宇佐2859 |
電話 | 0978-37-0001 |
開園時間 | 4月~9月/5:30~19:00 10月~3月/6:00~19:00 |
料金 | 拝観料無料 |
アクセス | 宇佐駅から大分北部バス四日市方面行き7分、宇佐八幡下車 |
駐車場 | 有料 |
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