スセリヒメの生地を訪ねて 2 / 青春18平成31年春紀行 最終日
出雲神西駅前の観光案内板。
一応、出雲大社も地図に乗っていて、駅の場所の下に「出雲大社まで9km」と表示してあります。
「出雲大社口」と称していた時代、間違ってここで降りた観光客は、これ見て途方に暮れたでしょうね。
ぼくは別に間違って降りたわけではなく、ここから歩いてスセリヒメゆかりの地を目指します。
スセリヒメはスサノオの娘であり、オオクニヌシの妻となった女神です(白うさぎの話に出てくる因幡のお姫様ではないですよ、お間違えなく)
その出生・生い立ちは明らかでありません。古事記によりますと、オオクニヌシがスサノオを訪ねて根の国に行ったときは既に成人した姿で現れています。日本書紀には存在そのものが見当たりません。
一方、出雲国風土記では滑狭郷(なめさのさと)にスセリヒメが住んでいてそこにオオクニヌシが通った(妻問い)ということになっています。
滑狭郷に、スサノオの娘、スセリヒメが住んでいた。
スセリヒメのもとにオオクニヌシは求婚に通っていた。
スセリヒメの宮殿の前には岩があった。その岩の表面はとても滑らかだった。
その岩を見たオオクニヌシは「ほう、こんな滑らかな岩は珍しい」といった。
その時以来、この地を南佐(なめさ)と呼ぶようになり、後に字を「滑狭」と改めたという。
今来ている、このあたりが昔、滑狭と言われていた地です。
雨の中傘さして、まずは駅前を出て左に。
ぼくがスサノオの家族ゆかりの地を訪れるときは雨に見舞われるようで、先月スサノオの嫁さんであるクシナダヒメの生地を訪ねたときも雨でした。
さらに左に曲がり、山陰本線を踏切で渡ります。
看板に沿って「那賣佐神社・岩坪」を目指します。
左に行けば岩坪、川の中にオオクニヌシが「滑らかな岩だ」と言ったその岩があり、またそこはスセリヒメが産湯を使ったところでもあるそうです。
まっすぐ行けばスセリヒメを祀る那賣佐神社、元は岩坪のそばにあったようですが、その後現在地に遷されたようです。
まずは那賣佐神社を目指してみましょう。
坂道を少し上ると、右手のほうに見えてきました。
もともとスセリヒメの屋敷のはずですが、今はオオクニヌシが主人になっています。
看板にあるアシハラシコオはオオクニヌシの別名です。
葦原とは日本の別名(アシが茂る水が豊かな国の意味)、醜男とは醜い男ではなく「強い男」の意味です。
古事記ではオオクニヌシがスサノオを訪ねて根の国に行ったとき、スサノオはオオクニヌシを見て最初に「こいつはアシハラシコオだ(こいつは日本の国を支配するだけの力をもった神だ)」と言ったそうです。
鳥居から石段が続いています。
石段をずっと上っていくと
登り切ったところ、 お宮の建物が現れてきました。
石段登った脇に小さな手水鉢。
拝殿。お賽銭を奉納しお参りします。
拝殿の奥に、スセリヒメとオオクニヌシが鎮座されている本殿。
本殿脇には小さな末社、扁額に「伊邪那岐命社」とあります。日本創世の神イザナギを祀ってあるんですね。
イザナギはスサノオの父親です。つまりスセリヒメの祖父ということになります。
一方オオクニヌシはスサノオの6代目の子孫です。つまりオオクニヌシからさかのぼるとイザナギは7代前の先祖ということになる。
イザナギにとっては自分の孫と7代目の子孫が結婚したわけで・・・神様の家族関係はよ―わからん。
境内には神西城への登山口がありました。
登山道を少し上ってみました。高台から見る那賣佐神社。
上まで行きたかったが、雨はまだ降ってるし地面はぬかるんでいる。滑ってがけ下に滑落でもしたらシャレにならないので、ここで引き返しました。
境内を出て、石段を下り、元の通りに戻ってきました。
通りを挟んで 神社の斜め向かいにあるこのスペース、何の看板も案内もないけど、おそらく神社の駐車場なのでしょね。
施設名 | 那賣佐神社 |
所在地 | 島根県出雲市東神西町720 |
電話 | |
開園時間 | 参拝自由 |
料金 | 拝観料無料 |
交通 | JR神西駅より徒歩20分 |
駐車場 | 通りを挟んで斜め前のスペースが駐車場と思われる |
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