スサノオの足跡を訪ねて 4 / 青春18平成31年春紀行 初日
バス停待合所横の階段降り、舗装されていない小路を歩きます。
小路が終わり、アスファルトの道路渡った先が目指す須我神社です。
でも、その前に・・
通ってきた小路の横に、なにやら池があります。
ご縁結びの夫婦松、だそうです。
ここには昔温泉が湧き出ていてスサノオやクシナダヒメも入浴したが、その後湯は枯れて今は池になっているということですね。
「どうか神社へと参拝になる前にこの社にご参拝ありますように」お薦めされましたので、池の脇に降りて近づいて見ます。
でも、結局松のそばにはいけないようですね。石橋の前に貼ってある鎖の前で手を合わせました。
改めて須我神社の方へ
ここは「日本初之宮」とされているそうです。
日本神話
ヤマタノオロチからクシナダヒメを救い、民の信頼を集め、出雲の国の支配者となったスサノオ。いつものように出雲の国の見回っていた時、その地に来ていた。
そこは湧き出る水も清く、豊かな土地であった。スサノオは言った。
「ああ、何というすがすがしいところだ。ここにきて、俺の心もすがすがしい」
スサノオはすっかりその場所が気に入り、その地を須賀と名付けた。そこにクシナダヒメと暮らす新居を構えることにした。
新しい宮殿ができた時だった。そこから雲がむらむらと沸き起こった。
これを見たスサノオは、思わず一種の歌を詠んだという。
八重垣作る その八重垣を
スサノオはクシナダヒメの父・アシナヅチを宮殿に呼び寄せ、出雲国の執政長官に任命した。
スサノオは出雲の人々にしたわれ、クシナダヒメと末永く暮らしたという。
スサノオが須賀の地に立てた宮殿がここ、今の須我神社です。
日本で初めての宮だから「日本初之宮」ということなんですね。「宮」は建物としての「御家→宮(みや)」と、政治の中心地「宮処→都(みやこ)」の両方の意味があるんでしょうね。
手水舎で禊をして階段上り、楼門をくぐります。
拝殿に続く石段のわき
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」
日本で詠まれた最初の歌だそうです。
変体仮名だから、予備知識がないとなんて書いてあるかわかりませんね。
拝殿
お賽銭を奉納し手を合わせます。
拝殿の左手、小さな末社があり、その先
「弘法大師」・・・って、ここお大師堂?
スサノオゆかりの神社にお大師さんが祀ってあるの?と思いましたが
どーもここ、神社とは全く別の、お寺の敷地のようです。真言宗のお寺ならそりゃお大師さんを祀ってあるでしょう。
神社の境内とは壁も垣根もなくつながって、一体化しています。
山門も別にありました。
石段の下にはさっきくぐってきた須我神社の鳥居が見えます。
あとから調べてみると、ここは中世の神仏習合のあとを今に残す珍しい存在だそうです。
施設名 | 須我神社 |
所在地 | 島根県雲南市大東町須賀260 |
電話 | 0854-43-2906 |
開園時間 | 参拝自由 |
料金 | 拝観料無料 |
アクセス | ☆松江駅より一畑バス 大東線30分、須賀下車徒歩1分 (本数少ないので注意) |
駐車場 | 有 |
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