カリバ旅行記

狩場宅郎のカリバ旅行記。温泉、鉄道、路線バスなど。

美祢線 705D 厚狭~於福

 山口県西部を行く 1 / 青春18平成31年春紀行 3日目

 

青春18平成31年春紀行の3日目、今日は日帰りで関門トンネルをくぐって山口県に出てきました。

 

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下関から山陽本線を通り、厚狭駅まで出てきました。

ここから美祢線に乗り換えます。厚狭8時34分発長門市行き鈍行列車、JR西日本キハ120の2両編成。

 

 

この列車はたまたま2両編成ですが、多くの列車は単行です。

美祢線はこんなワンマン運転気動車が1~2時間おきに運行されるだけのローカル線です。

 

しかし時刻表の路線図を見ると、地方交通線を示す青ではなく、幹線を示す黒線で表示されます。運賃計算上も当然幹線として算定されます。

なぜこのようなことになってるかというと・・・

 

昭和56年(1981年)、赤字の累積に悩む国鉄は、それまで全国一律だった運賃体系を見直し輸送実績に応じて「幹線」「地方交通線」に分類し、地方交通線からは割増運賃を取るようになりました。

 

この時点で美祢線には多数の貨物列車が運転されていました。美祢で産出する豊富な石灰石宇部港まで運んでいたのです。この貨物運送により大きな収益があったため美祢線は「幹線」とされました。

 

しかし平成21年に石灰石輸送は廃止されました。

 

 輸送実態に変化が生じても運賃体系は見直されることは無いため美祢線は今も幹線とされています。

 

ちなみに今はどうやって石灰石を輸送しているかというと、石灰石を採掘している宇部興産は、何と美祢から宇部港まで自社専用の私有道路を作り、道路交通法の適用を受けない巨大なトレーラーで輸送しているんです。

わざわざ専用道路まで作って鉄道から切り替えた理由が「昭和中期から後期にかけての国鉄の度重なる貨物運賃値上げや労働組合運動激化によるスト権スト頻発により、拠点間輸送の効率化と安定化の必要に迫られた結果」(wikipediaより引用)だそうなので・・・国鉄(というか、国鉄労働組合)はなんて馬鹿なことをやってたんでしょうねえ・・・

 

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 車内。一両はボックスが4組だけのセミクロスシート、既にボックスは先客が占領しています。

もう一両はオールロングシートです。

 

で、今日も運転席かぶりつきを決め込みます。

 

 

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運転台の後ろには「利用証明書」がぶら下がっています。

 

自ら首を絞めて美祢線の貨物輸送を失ってしまった国鉄でしたが、経営が厳しくなり路線存続が難しくなると、困るのは地元です。

 今、沿線自治体は少しでも乗客を増やそうと涙ぐましい努力をしているようです。これもその一環で、この「利用証明書」で沿線の観光施設の割引が受けられるそうなのです。一枚いただきました。

 

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 定刻、発車。すぐに山陽本線と別れて進んでいきます。

 

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 美祢線は全線単線ですが、厚狭駅を出ると間もなく複線となる場所があります。しかし駅ではなく、列車は停まりません。

ここは「鴨ノ庄信号場」、上下列車の行き違いのために設けられた信号場で、客扱いは行いません。かつて石灰石輸送の列車が行きかっていたころの名残です。

現在、ここで行き違い交換をする列車はありません。

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 湯ノ峠(ゆのとう)を過ぎると、川沿いのに山の中にへ

 

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 列車は少しずつ中国山地の中に入っていきます。

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南大嶺駅

かつてここから大嶺支線が分岐していました。

 

と、いーますか、

そもそも美祢線は大嶺炭鉱で産出される石炭を運搬するための路線として、厚狭~南大嶺~大嶺間が明治38年山陽鉄道により開業したものです。

 

その後南大嶺~重安間が美祢軽便鉄道により大正5年開業、国有化後の大正13年に正明市(しょうみょういち、現在の長門市)まで延伸開業しました。

 

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左側に分かれていく築堤、かつての大嶺支線の廃線跡です。

 

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そして列車は美祢駅へ。

 

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美祢駅を過ぎると、右手に線路が何本も並んだ広大な操車場が見えてきます。かつてはここから宇部興産専用線が伸びて石灰石を輸送していました。

今、赤さびた線路には貨車も機関車の姿もありません。

 

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 重安駅、削られた石灰石の山が見えます。

石灰石は日本で唯一、国内の需要を国産でまかなえる鉱物資源だと、どこかで見た記憶があります

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 そして於福駅に着きました。9時12分着。ここで降ります。

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 今乗ってきた列車、この先長門市まで走って行きます

 

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 於福駅

 

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