三瀬温泉で湯に入ってさと山でメシ食って、佐賀市に向かう途中です。
国道263号線で山を下り、大和町に入り、見えてきた立て看板。
かかしあり、わき見注意・・・
しばらく行き、この先カーブを曲がると
左手の田圃に、は?、なんだ・・・
予定外ですが、駐車場にはいり、車を停めてみます。
駐車場横の刈り入れが終わった田圃をメイン会場にして、地元の人たちが作った「かかし」が展示されているようですね。
メイン会場では昔の農作業の様子が主要テーマのようです。
面白いので、一つ一つ見ていきましょう。
まずは田起こしですね。田植えをするために田を耕します。今はトラクターに乗って行いますが、かつては牛や馬、人力で行っていました。
肥料にする下肥(しもごえ)を運んでいます。
今は工場で精製された化学肥料や有機肥料を使ってますが、昔は人糞を肥溜めにためて発酵させて肥料にしていました。
江戸時代の都市には農村から農民が糞尿を買い取りに来てました。このため日本の武家・商家・長屋いずれも汲み取り便所という衛生的な設備が完備されており、街はとても清潔だったと言います。
(同時代のヨーロッパではトイレがなく、おまるに排尿便して窓から投げ捨てていて、街には悪臭が漂い伝染病が流行したそうです)
今はトラクターで行う農作業も、昔は重労働だったでしょうね。
刈り取った稲は天日に干して乾燥させます。
そして脱穀。これは千歯扱き(せんばこき)という、江戸時代から使われていた脱穀の道具です。
次代は進み、大正時代になると足踏み式脱穀機というのも発明されました。
現代ではコンバインで刈り入れと脱穀を一度にしてしまいます。乾燥は脱穀した後、専用の工場で行います。
脱穀した籾は、臼でついてもみ殻を外します。
これは唐箕(とうみ)という器械です。もみ殻を外したあと、風力で軽いもみ殻を飛ばし、米の本体と分離させます。
現代では動力が人力から機械に変わっただけで原理的には同じものが使われています。
脱穀後の藁(わら)を積み上げた藁塚(わらづか)です。藁はこの後堆肥にしたり、俵や藁縄などの材料として利用されました。
大八車(だいはちぐるま)。昔から使われていた荷車です。
リアカーは大正時代に日本で発明されました。
大八車の構造であった、左右の車輪をつなぐ車軸を無くして、本体の左右に車輪が取り付けられました。重心が低くなって安定し、カーブを曲がるときの操作性も格段によくなったそうです。
ちなみに二輪車の横に取りける乗用の器具を「サイドカー」というのに対し、これは後ろに取り付けるから「リアカー」と名付けられました。
都市部では宅配便会社が自転車でアルミ製のリアカーを引っ張って荷物を配達しているのを見ることありますね。環境負荷や燃料費高騰の事情から導入されたそうです。
消防団が放水してます。
釜戸でせいろを蒸すお母さん。
乳母車(うばぐるま)で子供と歩くお母さん。
今は軽量で折り畳みができるようになりました。名前もベビーカーに変わりましたね。
離れた田圃では、子供が凧揚げをしてました。
正月の風物詩だったこんな光景もいまは全く見られなくなりました。
別の田圃では、幼稚園児が運動会をしていました。
かかし祭りは11月24日(土)まで開催されています。場所は佐賀市大和町梅野、佐賀市内からだと、国道263号線を三瀬峠のほうに上っていき、道の駅大和を過ぎてしばらく進んだところに冒頭の「わき見注意」の看板が見えてきます。
松梅校区まちづくり協議会かかし祭り実行委員会
電話 090-1513-2759
入場料無料
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