今日は福岡県筑紫野市の筑紫神社に来ています。
筑紫神社はJR原田駅(はるだえき)からだと歩いて10分ほど。車だとNTTドコモショップ原田駅前店の角を北東に入り、突き当りの公園をぐるっと回っていったところに小さな駐車スペースがあります。
その駐車場。「参拝者用駐車場」と看板にありますが、3~4台も止めたらいっぱいになります。
ここに車を停めて、いったん表通りに出てみます。
日本の創世記である古事記によると、日本の国は伊耶那岐命(イザナギノミコト)・伊耶那美命(イザナミノミコト)の二柱の神様がお産みになりました。八つの大きな島を最初にお産みになられたので日本のことを「大八島国」と言います。
その大八島国の中で、4番目にお産みになられたのが「筑紫島(つくしのしま)」、今でいう九州です。
その「筑紫」という地名の発祥の地がここ、福岡県筑紫野市にある「筑紫神社」だと言います。すなわち「筑紫」というのはもともと筑紫神社周辺の一地域の名称だったものが、後に今の福岡県周辺、さらには九州全体をさすようになっていったそうなのです。
筑紫神社の参道入り口。看板には「国号起源」と描いてあります。
鳥居に礼拝してから参道を進んでいきます。
ここから石段を登っていきます。
「県社筑紫神社」、『紫』の字が見慣れない異体字ですね。
その先、楼門をくぐると境内です。
手水舎
祭神の筆頭は「筑紫の神」、筑紫の国魂(くにたま)だそうです。漠然としたこの地方の神霊といった存在でしょうか。
『筑前(現在の福岡県北部)と筑後(現在の福岡県南部)の境となる山に荒ぶる神がいて、峠を行きかう人を多くとり殺していた。その神は「人の命尽くす神」と呼ばれた。』
・・・そうで、この神が筑紫の神、この神を静めるためにお祀りしたのがここ筑紫神社、「命尽くす(イノチツクス)」が筑紫の語源、というわけですね。
「筑紫」の語源は諸説あり、案内板には「命尽くすところ」とありますが、
他に、国の形が木莵(つく、ミミズクのこと)に似ているから、日本の西端で国が尽くるところだから、太宰府に向かう重要な道筋だから石畳で舗装されていて『築石(つくいし)』と呼ばれたから、等々・・・
実際、筑前と筑後の境にある峠は命尽くすほど急峻というほどではなく、JR鹿児島本線も西鉄大牟田線も国道3号線も九州自動車道もトンネルひとつなく、気が付いたら国境を超えていた、という感じですので、この案内板の説明はちょっとアヤシイかも、です。
と、写真を撮っていたら、女性の方に声をかけられました。白衣(びゃくえ)を着ていて、どうやらこの神社に勤めている方のようです。
「裏のほうに桜が咲いてますよ」
と言われました。エ?この季節に桜?
その方の言う通り拝殿の裏に回ってみますと
写真ではわかりにくいですが、枝の先にちらほら。
「十月桜と言います。もう少し立つと満開になります」
とのことでした。
改めまして、拝殿にお参りします。
十月桜のそば、筑紫神が鎮座されている本殿。
案内板によると、神社の創建は奈良時代以前にさかのぼるそうですね。
神社の境内を後にし、楼門から外に出ます。
楼門のそばにあるのが
五所神社、この地区にあった5つの神社を合祀したもののようです。
またもとの石段を下りて駐車場に戻ってきました。また車飛ばして帰ります。
筑紫神社
福岡県筑紫野市大字原田2550
Tel:092-926-5443
拝観料無料
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