御島神社から、国道三号線の交差点まで歩いてきました。
交通量の多い交差点をクロスするように歩道橋がかかっています。
その交差点の脇、
先に進んでいくと、西鉄貝塚線の高架があり、その先にJR鹿児島本線の踏切があります。
昭和になり埋め立てが進むまでは、この辺りが海岸線でした。
踏切の先、楠の並木が続いています。
この先、勅使道と呼ばれる香椎宮の参道です。
線路の脇に、丘の上に続く小道。
案内板には「香椎潟 万葉歌碑」とあります。上ってみます。
先のほうに鳥居があり、その手前左側に階段があります。
階段上ったところに万葉歌碑があり、
香椎潟を歌った歌三首が刻まれているそうです。
いったん階段降りて元の通路に戻ります。
鳥居には「香椎宮 頓宮」の扁額。
この奥に行くと、頓宮のお社があるはずでしたが・・
建て替えの最中でした。
またもとの、香椎宮の参道に戻ります。
二車線の車道をまたぐようにして鳥居があり、その先、楠の並木道が続いています。
「勅使道」と言われ、天皇からの使者(勅使)が通る道だそうです。
楠は大正15年に植樹されたものだそうです。
奥に進んでいきます。
香椎線の踏切を渡ります。線路を走っているのはJR九州の蓄電池電車819系。
上を通っているのは近年作られた国道3号線のバイパス。
楠は 高架道路に頭を押し付けられてしまって可哀そう・・・
踏切わたってしばらく行くと、香椎宮の門前です。
香椎宮の正門から道路を挟んだ向かい側に鳥居と小さな祠。
香椎宮の摂末社のひとつでしょう。扁額には「 朽瀬神社」と彫ってあります。
後から調べてみると、御祭神は羽田矢代宿祢。仲哀天皇の家臣である武内宿祢の子だそうです。
では香椎宮のほうへ。
第14代仲哀天皇は朝廷に従わない熊襲を征伐するために九州に来て、ここ香椎に宮を置きました。
そこで神から「熊襲よりも朝鮮を征伐せよ」とお告げを受けます。しかしそのお告げを信じなかった天皇は、神の怒りでそのまま崩御されました。
仲哀天皇の皇后オキナガタラシヒメが神のお告げ通り、兵を率いて朝鮮に向けて出陣します。オキナガタラシヒメは後に神功皇后と呼ばれるようになります。
鳥居をくぐって進みますと、
参道の脇に赤い鳥居があり、境内の池の島に続いています。
弁財天社
七福神の弁財天はインドから来た神様で、日本古来の神とは関係ありませんが、神仏習合の時代にイチキシマヒメと同一視されるようになりました。
では、参道を奥に進みます。
施設名 | 香椎宮 |
所在地 | 福岡県福岡市東区香椎4丁目16‐1 |
電話 | 092-681-1001 |
開園時間 | 開門時間
4~9月 5:00~18:00 10~3月 6:00~18:00 |
料金 | 拝観料無料 |
交通 | JR香椎駅から徒歩20分 JR香椎神宮駅から徒歩5分 西鉄貝塚線香椎宮前駅から徒歩15分 |
駐車場 | 有 |
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香椎宮