岩徳線 9235D 岩国~周防高森

 - 周南地区を巡る 7/ 青春18平成30年夏紀行 5 日目 -    

ここから岩徳線に乗り換えます。

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15時51分発周防高森行き鈍行列車、首都圏色キハ47の2両編成。

列車番号は9235D。こちらも山陽本線柳井~徳山間と同じく、この区間を走る列車はすべて9000番台の臨時列車です。
岩徳線も7月の豪雨災害で周防高森から先、徳山まで不通となり、代行バスによる輸送となっています。
(以上、乗車時時点での情報です。岩徳線は9月22日復旧、このレポートがアップロードされた時点では全線列車が走っております。)

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車内。
 
2両目の車両のボックス席を確保し、発車時刻を待ちます。
・・・が、定刻の15時51分を過ぎても、発車する様子がありません。何事か・・・と思ってると、運転士さんの車内放送
「発車時刻を過ぎておりますが、大雨のため現在、発車を見合わせております。しばらくお待ちください」

・・・10分前に乗りこんだときは雨はパラパラ降っている程度だったが・・・
改めて外を見ると、確かに滝のようなすごい雨。席を取った2両目の車両の上には橋上駅舎がかぶさってたから、まったくわからなかった。
しかしこれ、いつ列車は出るのだろうか・・・

発車時刻を14分すぎた16時5分ごろ
「間もなく発車いたします。安全確認のため周防高森まで徐行運転してまいります」と放送。
そして15分遅れで発車。

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まだ雨降る中、ゆっくり進んでいきます。

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西岩国着、18分遅れの16時15分。
長いホームと立派な駅舎、昔はここが岩国駅を名乗ってました。

昭和4年岩徳線の部分開業以来、昭和17年に麻里布駅が岩国駅(現在の岩国駅)に改称されるまでこちらが岩国駅だったそうです。

ちなみにこの岩徳線昭和9年に全通しましたが、全通後は全線が山陽本線とされ、それまで柳井を経由していた山陽本線は柳井線に改称されました。しかし距離こそ短いものの勾配・カーブが多く、戦時中、軍事輸送のネックになりました。このため昭和19年山陽本線複線化の際、柳井線のほうが複線化され再び山陽本線に戻されました。

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錦川を渡ります。この上流に錦帯橋があります。

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川西駅。錦帯橋へ行くにはこの駅が一番近いです。
といってもほとんどの観光客は岩国または新岩国からバスで行くんでしょうけど。
ここは錦川清流鉄道の分岐駅でもあります。

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錦川清流鉄道が分かれていきます。

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ここは柱野駅、定刻より23分遅れ。ゆっくり進んでいくもんで、遅れはどんどん大きくなっていきます。
もともと山陽本線として建設されただけあって、非常に長いホームです。

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雨の中、ゆっくりゆっくり進んでいきます。
周防高森から代行バスに間に合うだろうか・・・鉄道との接続を前提にしてるんだから遅れても待っててくれるとは思うが。

そして列車は全長3149メートルの欽明路トンネルに入ります。
トンネルの中では雨の影響は受けないとあっていくらかスピードアップして進んだようです。

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トンネルを抜けると窓が曇りました。
車内は冷房が入って涼しいし、外は雨で蒸し暑いのでガラスの外側から曇っています。

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玖珂駅、25分遅れの16時48分着。窓開けて撮影。

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ドア横に移動、ここは戸袋からの隙間風のため曇ってはいません。

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そして終点、周防高森は定刻16時27分着のところ、32分遅れの16時59分着。ホームには大勢の高校生が折り返しの列車を待っていました。

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