- 周南地区を巡る 7/ 青春18平成30年夏紀行 5 日目 -
ここから岩徳線に乗り換えます。
15時51分発周防高森行き鈍行列車、首都圏色キハ47の2両編成。
岩徳線も7月の豪雨災害で周防高森から先、徳山まで不通となり、代行バスによる輸送となっています。
(以上、乗車時時点での情報です。岩徳線は9月22日復旧、このレポートがアップロードされた時点では全線列車が走っております。)
(以上、乗車時時点での情報です。岩徳線は9月22日復旧、このレポートがアップロードされた時点では全線列車が走っております。)
車内。
2両目の車両のボックス席を確保し、発車時刻を待ちます。
・・・が、定刻の15時51分を過ぎても、発車する様子がありません。何事か・・・と思ってると、運転士さんの車内放送
・・・が、定刻の15時51分を過ぎても、発車する様子がありません。何事か・・・と思ってると、運転士さんの車内放送
「発車時刻を過ぎておりますが、大雨のため現在、発車を見合わせております。しばらくお待ちください」
・・・10分前に乗りこんだときは雨はパラパラ降っている程度だったが・・・
改めて外を見ると、確かに滝のようなすごい雨。席を取った2両目の車両の上には橋上駅舎がかぶさってたから、まったくわからなかった。
しかしこれ、いつ列車は出るのだろうか・・・
しかしこれ、いつ列車は出るのだろうか・・・
発車時刻を14分すぎた16時5分ごろ
「間もなく発車いたします。安全確認のため周防高森まで徐行運転してまいります」と放送。
そして15分遅れで発車。
そして15分遅れで発車。
まだ雨降る中、ゆっくり進んでいきます。
西岩国着、18分遅れの16時15分。
長いホームと立派な駅舎、昔はここが岩国駅を名乗ってました。
長いホームと立派な駅舎、昔はここが岩国駅を名乗ってました。
ちなみにこの岩徳線は昭和9年に全通しましたが、全通後は全線が山陽本線とされ、それまで柳井を経由していた山陽本線は柳井線に改称されました。しかし距離こそ短いものの勾配・カーブが多く、戦時中、軍事輸送のネックになりました。このため昭和19年山陽本線複線化の際、柳井線のほうが複線化され再び山陽本線に戻されました。
錦川を渡ります。この上流に錦帯橋があります。
錦川清流鉄道が分かれていきます。
そして列車は全長3149メートルの欽明路トンネルに入ります。
トンネルの中では雨の影響は受けないとあっていくらかスピードアップして進んだようです。
トンネルの中では雨の影響は受けないとあっていくらかスピードアップして進んだようです。
トンネルを抜けると窓が曇りました。
車内は冷房が入って涼しいし、外は雨で蒸し暑いのでガラスの外側から曇っています。
車内は冷房が入って涼しいし、外は雨で蒸し暑いのでガラスの外側から曇っています。
玖珂駅、25分遅れの16時48分着。窓開けて撮影。
ドア横に移動、ここは戸袋からの隙間風のため曇ってはいません。
そして終点、周防高森は定刻16時27分着のところ、32分遅れの16時59分着。ホームには大勢の高校生が折り返しの列車を待っていました。
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