九州縦断旧線を偲ぶ旅 平成30年夏 8 - 日豊本線 695M 隼人~鹿児島 - / 青春18平成30年夏紀行 3日目


では、鹿児島へ向かう最後の列車となります。

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17時36分発の鹿児島中央行き、817系2両編成。

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車内。
最後尾のドア横に立っていくことにします。

しばらく内陸の田園風景の中を走り

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別府川を渡るとき、桜島が見えます。

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そして電車は錦江湾に出て、海沿いに走ります。
そう、旅の最終段階で海を望む、この光景が見たかったのです。
春に乗った時は残念ながらどっぷり日が暮れて見れなかったのです。

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波静かな錦江湾に沿って桜島を望みながら走ります。
その昔、水俣・出水経由の鹿児島本線が開通する前、本州や福岡から鹿児島へ向かう乗客はみなこの光景を見ていたんですね。

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列車はやがて錦江湾を離れ、鹿児島の市街地に入ります。
 
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鹿児島着、18時7分。
 
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今も残る、門司港から通算400キロ、鹿児島本線の終点を示すキロポスト。現在の肥薩おれんじ鉄道経由での数字です。

鹿児島駅鹿児島本線日豊本線の終着駅です。しかし鹿児島県の代表駅はとなりの鹿児島中央駅とされ、列車の運行も鹿児島中央が始発・終着となっています。
鹿児島駅の開業は明治32年、現在の肥薩線経由の鹿児島本線全通は明治42年、そのころは名実ともに鹿児島県の中心駅であり鹿児島本線の終着駅でした。
しかし大正2年、鹿児島からさらに線路が延長され武駅(たけえき)が開業します。昭和2年に川内・水俣経由で八代までつながり、後の鹿児島本線(現在の肥薩おれんじ鉄道)が開業、同時に武駅は西鹿児島駅と改称されました。

その後の大東亜戦争による空襲で鹿児島の街は焼失、戦後の復興計画により鹿児島は貨物の集散駅、西鹿児島駅は旅客の発着駅として位置づけられ事業が行われました。旅客列車は西鹿児島駅を終始発駅とするようになり、街の中心部も西鹿児島駅周辺に移りました。

 平成16年の九州新幹線開業と同時に西鹿児島駅は鹿児島中央駅に改称されました。

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鹿児島駅。この駅も老朽化のため建て替えられる模様です。

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駅を少し歩くと、もとは貨物の積み下ろしをしていたらしいホームが、駐車場となっていました。

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その先は都市公園となってます。ここも貨物駅の跡地でしょう。
さらにその先には

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コンテナが積み上げられた貨物駅。規模は縮小されましたが、今も鹿児島駅は貨物輸送の拠点として機能しています。

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公園を出ます。先にある建物は、

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JR貨物の鹿児島貨物ターミナル。昔はさらに鹿児島港まで線路が伸びてたそうです。

港に近い鹿児島駅は、鹿児島港から桜島へ向かうときは鹿児島中央駅で降りるより、こちらのほうが便利です。

で、その桜島行きフェリーが出る桟橋へ歩いて向かいます。

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桜島へ向かうフェリーが見えてきました。


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