坪尻駅


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ホームから見た坪尻駅駅舎。きれいに整備されたベンチやポスター、真新しい壁のエンブレムなどに、「観光地化された秘境駅」を感じます。
むしろ最近ではJR四国自身が「秘境駅」であることをアピールしてイベント列車を停車させたりなんかしています。

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駅舎の端には昔ポットン便所がありましたが、今はふさがれています。

坪尻駅の生い立ちやら写真やら、駅スタンプや雑記帳などが置かれた待合室を通り抜けて表側へ。

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駅舎、表側。

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雪が残る駅前広場。この先、踏切を渡って道は二手に分かれます。

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踏切、常時遮断機が下りていますが、手で押せば開きます。

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踏切わたってまっすぐ進めば、不気味な廃屋が放置されています。これは昔来た時も同じでした。今は倒壊してるか、撤去されてるかと思ってましたが。
放置されたままのバイクも昔そのままでした。


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この先山道が続きますが、ここで引き返しました。

昔来たときは、この道をずーっと上って行ってみました。つづら折れの山道、時に倒木でふさがれたりしている中、ひたすら15分か、20分ぐらい歩いたでしょうか、突然車通りの多い道路に出ました。土讃線と並行して走る国道32号線だったようです。
駅に至る山道の入り口には、しっかりと「坪尻駅」を示す案内標識が建っていました。

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踏切まで戻ってきて、今度は駅向かいを多度津方面に向かう道を進んでみます。こっちのほうには前回来たき、立ち入ってはおりません。

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線路から分かれて進みます。2月の雪が残るこの時期、まむしは出てこないでしょう。

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しばらく行くと、林の中にコンクリートの構造物が見えます。
なんだろうと思って藪をかき分け進んでいくと

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水路トンネルでした。川の流れがトンネルの中に吸い込まれていきます。

この川はその名も「鮎苦谷川」(あゆくるしだにかわ)という凄い名前、吉野川水系の河川です。鮎も遡上できない急流の川、という意味でしょう。
坪尻駅があるところ、もともとはこの川の谷底だったそうです。水路トンネルを掘って川の流れを変え、谷を埋め立ててそこに線路を通す、という難工事の末昭和4年に現在の土讃線が開業、列車の行き違い施設としてこの地に坪尻信号場が開設されました。
坪尻信号場は昭和25年に坪尻駅に変更され乗客が乗り降りできるようになりました。

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山道をさらに進みます。道は川沿いにどこまでも続いてました。この先どこに出るのか気にはなりますが、きりがないのでここで引き返します。

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駅まで引き返して戻ってきました。この地、水路トンネルが掘られる前は川の谷ぞこだったわけですね。
写真左奥(駅を出て踏み切りの反対側に進んだところ)にも道らしきものがありましたが・・・

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こっちはほとんどケモノ道、どうやら正規の人道でもないようです。訪れたものが勝手に歩いて道のように見えるようになったのだろうか。足滑らして転落する前に早々と引き帰して来ました。

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そんなわけで、駅に戻って琴平行きの列車を待ちます。
ホームには、さっきぼくと一緒に列車を下りた若い男性が1人。
・・・と思ったら列車の到着前、国道へ通じる道から数人の男女が歩いてきて、ホームにやってきました。・・・ど―やって国道の駅入り口まで来たのだろうか・・・不思議。

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やがて入ってきた琴平行き列車、10時52分発。坪尻駅には1時間10分の滞在でした。

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川側のクロスシートに腰掛けます。
窓からは琴平方面に向かう線路とトンネル、さっき通った山道が見えます。
運転士さんが運転席を移動し、列車はバックで出発。本線を横断して阿波池田側の引き込み線に入り、停車します。

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引き込み線停車中の窓から鮎苦谷川を撮影。水路トンネル出口は見えませんが、トンネルから出た水が滝のように流れ落ちています。
写真に写っている、信号機の真下方面に続く谷が本来の川の流れだったわけですね。
で、運転士さんは再び運転席を移動し、今度は前向きに発車。讃岐と阿波の国境であるトンネルに入り、琴平へ向かいます。

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11時29分、琴平着。今回の旅第一の目的、達成です。

もはや「観光地」となった坪尻駅ですが、それでも人の少ないこの季節、駅周辺は昔のままのたたずまいでした。
青春18の季節なんか、おそらく多くの人でもはや秘境という感じじゃないでねーか、と想像します。さすがに屋台や露店なんかは出てないとは思いますが・・・

金毘羅宮 へ続く

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