伊予~土佐 鉄道乗車記 5 -和霊神社  -/青春18平成29年冬紀行 2日目


さて、北宇和島で乗り換えずに宇和島まで来てしまったがゆえに、次の列車まで2時間あります。さあ、どーしようか。

駅前の市内案内図を眺めているうちに「和霊神社」というのが目に留まりました。駅の裏手にあるようです。ならばちょっくら足を延ばしてみるか。

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駅前には小さな機関車が展示してありました。大正3年に初めて宇和島を走った機関車だそうですが、現物ではなく忠実に復元したレプリカのようです。

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闘牛のモニュメントもありました。
さて、地図を見ながらその和霊神社を目指して商店街を歩いていきます。ところどころ和霊神社への道筋を示す案内板が建っています。

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和霊神社の隣にある和霊公園にやってきました。ここで目に留まったのは

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静態保存してあるC12でした。駅前の機関車レプリカと違いこちらは本物のようですが、だいぶ傷んでいます。若松駅の9600ほどでないにしても。

ここ、他の静態保存の展示とは違って、運転台の中に入ることができるようです。
もっとも運転台もだいぶ傷んでいます。カマを開けようと思ったら、鎖で開かないようにされていました。こころない人がゴミなんか投げ入れるからでしょうね。

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機関車の運転席に座ってみました。出発進行!
ガラスなんかは全くなくなっています。

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さて、いっぺん通りに出てから和霊神社へ。

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参道を進みます。

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門をくぐると石段が二手に分かれております、右側のほうが本殿に続く参道のようです。
手水舎で禊してから石段を上がります。

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石段の先、何やら柱が2本、間に注連縄が貼ってあります。

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「愛護無遺」「國利民福」の四文字熟語。
どーゆーいみだろ・・・と「愛護無遺」で検索してみると、出てきたのは支那語のサイトのみ、さっぱりわからん。・・・「愛護」大事に庇護すると「無遺」捨てられることは無い、とゆーことかな
「国利民福」こちらは検索でヒットしました。国家の利益と国民の幸福、とゆーことですね。
つまり国家と国民、それぞれが互いを大切にしていれば、飢えや飢饉はなく反乱・クーデターも起こらず、双方の利益につながる、と言いたいのだろーか。
柱の横には「明治二十二年正月建設」と彫ってありました。

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拝殿に進み、作法通りにお参りします。
ところで、「和霊神社」とは何か・・・ふつうは神社の由来を記した案内板などがあるものですが、境内を見渡してもそれらしきものは見つけられませんでした。

Wikipediaで調べてみると・・・

祭神は宇和島藩家老の山家公頼(やんべきんより)。
独眼竜こと伊達政宗の長男、伊達秀宗が江戸時代初期の慶長19年(1615年)、宇和島藩10万石の領主として封じられ、その家臣として藩政を支え、善政をしき領民に慕われたそうです。
しかし秀宗は、山家公頼と敵対する家臣の讒言を信じて公頼を殺害させました。

その後、公頼の政敵は次々と変死、秀宗は病床に伏し跡継ぎの子供は早世、飢饉・台風・大地震が相次ぎました。公頼の無実も判明し、承応2年(1653年)、神社を創建して公頼を祭ったそうです。

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和霊神社の社そう、天然記念物だそうです。「社叢(しゃそう)」とは神社境内を取り囲む林のことです。

今日は12月31日、大晦日ですね。私のつたないブログに付き合っていただいた皆様、一年間ありがとうございました。
どうぞ皆様、よいお年をお迎え下さい。

                               狩場宅郎


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