カリバ旅行記

狩場宅郎のカリバ旅行記。温泉、鉄道、路線バスなど。

伊予~土佐 鉄道乗車記 2 -予讃線913D列車 松山~向井原  -/青春18平成29年冬紀行 2日目


では伊予から土佐へ、この松山駅から出発します。鉄道で行くには多度津経由か予土線経由か、いずれにしても拙レポートで以前述べた通り実用的ではありません。
その不便な鉄道の片方、今回予土線を通って、鈍行列車で丸一日かけて移動します。

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朝6時前、松山駅の改札口。この向こうではこんな時間から駅弁屋さんが営業してました。今時、貴重な存在です。

青春18きっぷに改札印を押してもらって中に入り、お弁当を購入します。

予讃線宇和島行き鈍行列車913Dは跨線橋を渡り3番ホームから出るようです。

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松山駅では一つのホームを上り列車と下り列車、別々に運用しています。ホームの真ん中付近で分けて北側が上り高松方面行、南側が下り宇和島方面行の乗り場となっています。
国鉄の長編成客車列車に対応したホームをJRの短編成列車で有効活用するための措置でしょうが、知らずにいると「宇和島行きは3番ホーム」と思い込んで乗ると逆方向に行ってた、なんてことにもなりかねません。

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その3番ホーム、写真奥が今から乗る6時4分発の宇和島行き、手前が5時59分発の多度津行きです。くれぐれも誤乗の無いようご注意を。

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185系気動車の2両編成。185系はもともと国鉄がその最末期、四国で運用するために製造した特急型気動車です。民営化後は電化が進展し、また新型の特急型気動車が製造され、余剰となった車両は一般形に改造されて普通列車として運用されています。一部はJR九州に売却されました

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ドア横の列車種別札には、大きく「普通」の文字。確かに元が特急型であるだけに、外見だけ見ると誤乗しかねません。

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回転クロスシートの車内も一見すると特急型と変わりありません。座席は向かい合わせにセッティングされていましたが、座席の回転機能はそのまま残され進行方向に合わせて向きを変えることができます。デッキと客室を区切る自動ドアもそのままです。
窓も特急型と同じ固定窓で日よけは横引きカーテン、窓枠の下部は飲料のボトルを置けるよう幅を広く取ってあります。

その一方、ヘッドレストのカバーはビニール製の洗濯不要なものに交換されています。またリクライニング機構は外されて背を倒すことはできません。バックレストの裏側についていたテーブルと網ポケットも撤去されています。
JR四国の鈍行列車の常として、トイレも全て撤去されています。もちろん、洗面台も。

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客室とデッキとの仕切り、「自由席」「禁煙」のサインはそのまま残されています。国鉄車両で使われていた、ちょっと持ち上げて回転させて表示を変えるものです。
その横には「キハ185-3110」の表示。形式名キハ185の二桁目の数字「8」は本来特急型を示すものなのですが、一般形に改造された今も変更はせずそのまま使われています。

そうこうしているうちに発車時刻となりました。まだ真っ暗な中、窓外は松山の街の明かりが見えています。

伊予市6時21分着、7分間の停車のあと発車。
次の向井原予讃線は二つに分かれ、伊予大洲で合流します。普通「伊予長浜経由」「内子経由」と呼んで区別しています。この列車は伊予長浜経由で進んでいきます。

ところで「内子経由」の路線、正確には予讃線ではありません。いや、「予讃線ではありません」という表現も正確ではなく、その一部は紛れもない予讃線です。

時刻表の地図を見ると、地方交通線を表す青色の線が幹線を表す黒い線に挟まれています。正確には向井原~内子が予讃線、内子~新谷が地方交通線内子線、そして新谷~伊予大洲のひと駅間だけが予讃線となっています。なんとも分かりにくい。

とゆーのもこの区間国鉄末期の事情が絡んでいます。

もともと内子線五郎駅から分岐し、内子で終点となる盲腸線でした。
ところが昭和61年、内子~向井原間が延伸開業して予讃線(当時は予讃本線)松山方面とつながりました。また、五郎~新谷間を廃止し分岐駅を五郎から伊予大洲に付け替えたことにより、松山方面と宇和島方面が内子線を介して直通できるようになり、特急・急行列車はこちらを通るようになりました。
これは海岸沿いを走る伊予長浜経由の予讃線が災害に弱く、豪雨や台風による運転見合わせが頻発していたため、内陸部を走る内子線を新線に組み込んで開業させたことによるものです。

と、こういう経緯からすると本来、内子線予讃線の一部となり、内子線の名称はなくなるのが自然ですが、そこに運賃制度が立ちはだかりました。

昭和56年(1981年)、赤字の累積に悩む国鉄は、それまで全国一律だった運賃体系を見直し輸送実績に応じて「幹線」「地方交通線」に分類し、地方交通線からは割増運賃をとるようになりました。この「幹線」地方交通線」の区分はその後、輸送実績に変化があっても一切見直されることなく、36年間そのままで現在に至っています。
新線開業前のこの時点で予讃線は「幹線」、内子線は「地方交通線」とされました。

現実と乖離しても全く見直されないこの制度、新たに開業した向井原~内子間および新谷~伊予大洲間は幹線の予讃線とされましたが、内子線地方交通線のままで現在に至っています。

まだ暗い中、向井原(むかいばら)に到着。すぐ発車しました。


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